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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(79)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第二部[講話集]生命と愛と理想を懸けて
一、何よりも神のものを愛する

▲金元弼先生

自分一人だと考えない

 自分でやってできないときには、苦しんで、「どうしたらいいか」と一人で苦しまないで、ほかの人から情報をどんどん聞き、習うようにしなさい。

 先生が世界巡回に出られる時に、私は韓国で留守番をすることになりました。先生がおっしゃったことは、「難しいことがあれば、神に祈りなさい」そして「誰々と相談してやっていきなさい」ということで、様々に教えてくださいました。「先生もそのようにしているのだ」とおっしゃいました。

 いつも皆様は、自分一人だと考えてはいけません。自分がいるということは、上がいるのであり、下がいるのです。左がいるし、右がいます。前にいるし、後ろにもいます。自分一人でいるのではないのです。自分はそういう関係の中心にいるのです。自分のアベルは誰か、自分の下は誰か、お互いに協力し合う横的関係は誰と誰か。前というのは未来であり、私の子孫になります。そして私の後ろが過去であり、先祖です。いつも自分の上下、前後、左右は何か、知っていてください。自分の位置を離れたことが堕落でしたから。

 これから神や教会長が、どんどん体制をつくり変えていくことでしょうから、そういう問題も徐々に取り除かれていくと思います。

 私がある人に何かをさせるとすれば、させただけで終わってはいけません。私が言ったことを、その人が全部し終わったかどうかを確認しなければなりません。そうすれば、「ああ、リーダーが関心をもって、分かってくれた」と思い、気持ちがいいのです。ところが、「こうしなさい」と言ってから、一週間たっても、二週間たっても聞こうとしないとすると、私は何のためにやったのか、とやりがいを全然感じなくなり、やる気をなくします。

 頼んだあとですぐ「どうなったのか」、夜になって「どうなったのか」、朝になって「どうなったの」と聞くと、頼まれた人も、これは早くしなければいけないと考えるようになるのです。そしてやり終わったときに、「ああ、よくやったぞ」と言って褒めてあげるのです。ところが、何も言わず黙っていたら、そんなに忙しいものではなさそうだなと思って、ゆっくりやるのです。その上、やり終わっても何も言わないと、心が寂しくなるのです。

 私が絵を描いていていつまでも帰らない時に、先生がずっと待っていてくださったのを見たら、「もっとやらなければいけないなあ」と思ったのです。それで遅れる時には、先生が心配していらっしゃるので、電話ででも何ででも、早く報告しなければいけないなあという心が出てきます。

 黙っていると、メンバーは、遅れても何も報告しなくなります。

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 次回は、「弱いメンバーをどう導くか」をお届けします。


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