2022.09.20 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 234
キリスト教と日本⑬
福者となった殉教者たち
ナビゲーター:石丸 志信
1622年、長崎で殉教した55人は、1867年に教皇レオ13世によって福者に上げられた。
カトリック教会では、聖性を示す人生を歩んだと認められた人物を聖人に次ぐ福者の地位に上げ、尊崇の念を持って信仰の模範とする伝統がある。
教皇レオ13世は、この時、元和大殉教で生命をささげた55人と共に、江戸時代の初期、1617年から1633年までの16年間に殉教した150人を加え、205人を列福している。
殉教地は、長崎151人、大村28人、有馬9人、小倉5人、島原4人、江戸3人、その他、雲仙、田平、壱岐、京都、仙台各1人の205人。
日本人の他にスペイン、ポルトガル、イタリア、メキシコ、オランダ、ベルギーの司祭、修道者と彼らをかくまった信徒ら、そして文禄・慶長の役の折に日本に連れてこられた朝鮮半島出身者も含まれていた。
長崎空港から箕島大橋を渡って大村市内に入ってほどなく放虎原(ほうこばる)殉教地に着く。
江戸時代の斬罪所跡で、205福者の何人かはここで殉教した。
スペイン生まれのフランシスコ会士アポリナリオ・フランコ神父は、1606年に日本に派遣され1614年の追放令で長崎に送られたものの役人の手を逃れて潜伏活動を続けていた。
1617年、大村で布教活動をしているところを捕らえられ、鈴田牢で5年間の入牢生活の後、1622年9月12日に放虎原で火刑に処せられた。
長崎の大殉教から2日後の事である。他の殉教者が息絶えた後も生きていたので、一人の刑吏が「棄教して念仏を唱えよ」と勧めたが「いや、いや」と拒否して息を引きとった。フランコ神父に従った二人の日本人同宿もこの日共に殉教している。
その2年後、1624年8月25日には、同じくフランシスコ会士ルイス・ソテロ神父ら5人が放虎原で火刑に処せられた。
ソテロ神父は、伊達政宗の知己を得て東北地方で熱心な布教活動を行い、慶長遣欧使節の支倉常長をメキシコを経由してローマに案内した人物として知られる。
支倉常長帰国の2年後に日本に入港したが、直ちに捕らえられた。処刑当日、5人の殉教者は木に縛られ火を放たれたが、燃え上がる炎の中で賛美歌を歌い続けていたという。
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