2022.09.13 17:00
シリーズ・「宗教」を読み解く 233
キリスト教と日本⑫
元和大殉教時代
ナビゲーター:石丸 志信
今年の9月10日は、長崎の元和大殉教からちょうど400年目の記念日だった。
日本26聖人殉教の出来事から25年後の1622年9月10日、長崎の西坂の丘で、55人のキリシタンが殉教。神父、修道士と信徒24人は火刑に処せられ、残る31人は斬首された。この中には2、3歳の幼児も含まれていた。
元和(1615~1624)は大殉教の時代だった。
第二代将軍・徳川秀忠の治世、1612年に禁教令が出され、1614年には主要な宣教師、有力な信徒らを海外に追放した。
追放されたキリシタン大名の家臣らは国内で流刑にもなっている。
その後、京都で捕縛された信徒らは、1619年10月6日、52人が鴨川の河原で火刑に処せられた。元和の殉教の始まりだった。これは、秀忠が自ら京都入りして、厳格に処している。
1617年以降、長崎でも多くのキリシタンが次々に捕らえられ、殉教の血が流されていた。
長崎の元和大殉教55人の中心的人物の一人、イエズス会士カルロ・スピノラ神父は、1602年に来日し各地で布教活動に携わっていた。迫害下の1618年に捕縛され、大村の鈴田牢で4年間入牢生活を強いられた後、西坂で火刑に処せられている。
火刑組に入れられた唯一の女性は80歳になる「ルシア」と呼ばれた日本人。薩摩武士の娘でフィリップ・デ・フレイタスの妻となり、夫と共に神父、修道士らをかくまっていたために捕らえられた。
模範的な信徒で、火あぶりになる中、見せた気丈な姿に人々の注目が集まった。
また、火刑組には日本人で初めて司祭に叙せられたセバスチャン木村神父がいた。彼は、ヴァリニャーノの第三次巡察時の1601年9月に叙階されたので、21年間司祭としての務めを果たしてきた。スピノラ神父と同い年の57歳だった。
木に縛られた火刑組の前を31人の斬首組が通っていった。敬愛する神父、修道士たち、また、愛する夫に目をやり、静かにあいさつを交わす婦人や子供たち。か弱き信徒たちであったが、誰も恐れを抱かず、潔くその首を差し出していった。
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