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心情開拓
心霊を育てる生活原則(60)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

【ノアの家庭】
小さなものにも忠を尽くせ

 血統的転換という内容を、この間大先生が、祝福を受けに来た人に詳しく語られました。今まで「原理」で分からなかったところまで深く、血統的転換に対する具体的生活、情、祈り、信仰生活を話してくださったのです。

 歴史的にハムによって摂理が止まってしまったのですが、本当に、私たちもこういう立場でしくじる経験をすることがあります。その面を聖別して、私たちもだんだん成長しながら、み旨のために因縁を結ぼうとして、12数期間をもって、断食とか、あらゆる条件を立てます。7日間の断食条件を立てながら、自分はみ旨のための者だということを誓いました。

 それなのに、自分のやり方、実践の仕方を、そういう7日間断食しながら決意した基準から見れば、あまりにもわがままで、とんでもないことに刺激を受けているのです。それを見ると、私たちも信仰生活において、聖別、分別の仕方、自分の位置、立場を貴重にしながらも、環境に刺激を受けていることが分かるのです。

 120年間箱舟を造ったハムなら、相当徹底した立場で見なければならないのです。命懸けで見なければならなかったのです。「こういう時は、どう考えたらよいでしょうか」と。自分によって家庭が運命づけられていると、責任をもって見なければなりません。しかしハムは、ノアが裸になった時、安心して、いい加減に見たのです。私たちもみ旨と自分と、今まで闘ってきたその基台の上で、その位置で見なくてはならないのです。

 ハムが、今まで箱舟を造る時は、神のため、今暮らしている家庭生活、あるいは個人的事情ではそうでない、となったように、私たちも信仰と生活を二つに見るからそう思いやすいのです。礼拝の時は一緒に涙を流してみ言(ことば)を聞き、誠意を尽くして祈ったりするのに、お互いに自由な時間に関係を結ぶのはどうでもよいという凸凹(でこぼこ)な考え方により、今まで自分が積んできた基台が、どこに引っ掛かって崩れるか分からないことがあります。

 120年間の信仰基台が、ハムのどういう関係で崩れたかということを、ノアの家庭自体も知らずに、サタンに主管されたのかもしれません。ハムも知りませんでした。アブラハムも、はとの失敗で400年間エジプトで捕虜になるというが、なぜ自分の後孫が苦労しなければならないかを知らなかったのです。この「原理」が発表され、地上で講義されたあとに、アブラハムは霊通者たちを通じて知ったというのです。今にして、分かったというのです。

 それを見ると、私たちもそうです。どこに引っ掛かって、こういう試練があるかを知りません。どうしてこのごろ、私はこんな試練にかかるのか、自分も知りません。どういう条件でサタンの試練があるのか、私たちも知りません。なぜなら、宗教儀式、祈りとかで、平生の自分の生活を分別していないからです。

 生活の時にはお互いに安心して自分の情を使うのに、礼拝の時には別にしたり、変化が激しいのです。とにかく、自分がどういう時に、どういう条件にかかって、サタンに取られているのかを知らずにいるのです。だから知らなければなりません。

 「小さなことでも貴重に思いなさい。小さいことも全体のことと思え」と聖書は私たちに注意しているのです。「小さいものだからといっていい加減に取り扱わず、ごく小さいものにも忠を尽くせ」と言っているのです。そうすれば、絶対にサタンの条件に引っ掛かりません。

 信仰者は、人を差別したり仕事を差別したりしてはいけないのです。「こういう環境は自由だから、一人いるのだから、でたらめにしてもいいだろう」と、こう考えると、その時問題になるのです。あらゆる時間をサタンと共に暮らしているのです。こういう時はサタンが喜ぶか、サタンが嫌がるかを考え、いつも神の立場で、サタンと暮らしているのを忘れてはいけないのです。

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 次回は、「アブラハムが召された位置」をお届けします。


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