シリーズ・「宗教」を読み解く 224
キリスト教と日本③
ザビエルの日本宣教の功績と日本人観

ナビゲーター:石丸 志信

 フランシスコ・ザビエルが日本に滞在した期間はわずか2年3カ月であった。

 1549年8月に上陸した鹿児島で約11カ月。次に平戸に拠点を移し、「日本国王」に宣教許可を得るべく京の都に上るが、その目的は果たされなかった。

 1551年4月、献上品を携え山口の領主・大内義隆に謁見。許可を得て山口で活動を開始。義隆からは廃寺だった大道寺を与えられ、これが日本初の教会堂となった。

 ザビエルはここで熱心に宣教に励んだ。同年9月にポルトガル船が豊後国府内(大分)に到着したのを聞いて、豊後に出向き、領主・大友義鎮(後の宗麟)に歓迎を受ける。
 これを機に、豊後国で活動した後、11月にインドに戻ることになり、日本を離れている。

▲平戸ザビエル記念教会(長崎県)

 歴史家はザビエルの日本宣教の成果を、こう評している。

 「二年余のザビエルの日本滞在は、犠牲と苦難に充ちたものであり、約七百名のキリシタンを得たに過ぎなかった。しかし、この間に、ザビエルは、日本人の性質について深い洞察を持ち、将来の日本布教の方向と方針を打ち出した」(『キリスト教史 第5巻 信仰分裂の時代』)

 西洋から初めて極東アジアに足を踏み入れ、西洋とは全く文化の違う日本で、およそ700人の信者を得たザビエルの功績は、決して小さいとは言えない。

 彼は、日本の精神性の高さに敬意を払い、その文化に適した宣教方法を取るに至った。
 彼に続く宣教師にも、謙遜に努め、迫害や困難に耐え、常に霊的進歩に励むよう勧めている。

 そして日本には、西欧で知的にも霊的にも訓練された最高の宣教師を送るよう、長上者に進言したのである。
 日本宣教を終えたザビエルは、長上者ロヨラに宛てた報告書として書簡に、こう書き記した。

 「日本の地はキリスト教を長く守り続ける信者を[増やす]ためにきわめて適した国ですから、[宣教のために]どんなに苦労をしても報いられます。それで、あなたが聖なる徳を備えた人物を日本へ派遣してくださるよう、心から望んでおります。なぜなら、インド地方で発見されたすべての国のなかで、日本人だけがきわめて困難な状況のもとでも、信仰を長く持続してゆくことができる国民だからです」(1552.1.29 書簡97 河野純徳訳『聖フランシスコ・ザビエル全書簡3』平凡社)


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