2022.07.03 13:00
信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(60)
家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。
金元弼・著
第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
四、興南解放と釜山伝道
「原理原本」の執筆
その後、私は米軍部隊で働くことになりました。その間、先生は「原理」を執筆され、私が帰ってくると、それを私に渡してくださるので、読んでさしあげると、先生はじっと聞いていらっしゃいました。
先生はよく山に行かれ、暇さえあれば山から石を拾ってきて、土を運び、家を造る準備をしていらっしゃいました。
そのころ私は、米軍部隊でいろいろなペイントの仕事をしていました。ある日、私がいたずら半分に絵を描いていると、先生が御覧になって、「これから、どんどん絵を描くように」とおっしゃるので、不思議に思っていました。するとある時、同じ職場の人が私に、絵を描いてみないかと言うのです。その人は、米軍の婦人とか女友達の写真を見て絵を描いてあげていたのですが、私にもその注文を取ってやるというのです。
最初の仕事は黒人の写真でした。私は黒人を見たことがなかったので、どんな色を入れたらよいのか迷いながら、とにかく4時間半かけてそれを仕上げました。私は、それでお金をもらおうという考えはなく、ただ悪口さえ言われなければと思っていたのですが、意外にもその人は、「良く描けた」と言ってお金をくれ、さらに注文を取ってくれました。それで私は力を得、先生のお言葉どおりに絵を描くようになったのです。その後、食口の数が増えれば増えるほど、注文も多くなっていきました。
私は毎日、5時に仕事を終え、注文を受けて帰ってきて、それから絵を描き始めるので、終わるのはいつも午前零時か1時ごろでした。先生は私が帰る前に、市場に行って必要なものを買って、絵を描く準備をしてくださいました。そして、私が描き終わるまでそばで見守っていてくださり、そのあと私が休むと、先生はそれを朝に持っていけるように、切って丸めてくださるのでした。
そのうちに、先生も色を選んだり、背景を描いてくださったりするようになり、またしばらくすると、私が顔だけ描けば、先生が服や髪の毛や背景を塗ってくださるようになりました。そうして、一日に15枚、20枚と注文が来て、時には午前4時、5時までかかることもありました。
時々おばあさんの食口が訪ねてきて、疲れて横になろうとすると、先生はその食口に「(元弼〈ウォンピㇽ〉さんが)このように苦労しているのに、眠ってはならない。眠気が来たら、壁に寄り掛かって寝なさい」とおっしゃいました。仕事をする人は、仕事に酔うのでそれほど疲れを感じませんが、そばでただ見ている人は大変だったろうと思います。そのような中で、先生は絶対に私の前から離れないで、見守っていてくださったので、私は疲れても耐えることができました。
私は、働いて得たお金は全部先生に差し上げました。すると先生は、一カ月間に食べる米と燃料、石油、そしておかずとして煮干しを先に買っておかれました。私は、部隊で食事をしました。先生は、御自分で御飯を炊いて召し上がることが多く、女の人よりも上手に食事を作られました。先生は、貧しい修道者たちに米や服を買ってやったり、またお金を与えたりして、お金はすべてそのように使われたようでした。
ある日先生が、「あなたが持って来たお金を全部使った」とすまなさそうにされ、誰々に何を買ってやったとか、何にいくら、本を買うのにいくらかかったと、私に報告をされました。先生がそのお金をどう使われようが、いったんお捧げしたものだから私には関係ないのに、かえって私の気持ちを案じてくださる先生の姿に、自分の足りなさを感じ、もっと尽くさなければと、心の底から思いました。
私の帰りが遅くなると、先生は路地まで出てきて、待っていてくださいました。また私が疲れて眠ってしまうと、先生はよく泣き声の混ざった声で歌われたり、祈ったりされました。ある時には、まだ暗いのに私を起こして山に登り、岩のある所で、先生が、「あなたはここで祈りなさい、私はあそこで祈るから」と言われて、一緒に祈ったこともありました。
ある日の早朝、先生は突然、私を起こして「早く明かりをつけなさい」とおっしゃいました。私がランプをつけると先生は、鉛筆と紙を用意させて、「私の言うとおりに書いておきなさい」と言われました。私たちが何か文章を書く時は、途中で考えたりしますが、先生は初めから終わりまで休まず続けられました。それは再臨論に関するもので、『原理原本』はほとんど先生の筆跡ですが、その部分だけは私の筆跡になっています。
先生は神のために愛して、それでもなお不足を感じられる方です。ですから私たちも、いつも不足を感じながら神と先生を愛し、またすべての人々に愛を与え、また与えながらも自分の足りなさを感じている、そうすることによって初めて、天の誇り得る人となることができると信じます。
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次回は、「尊敬のあまり心情的距離があったころ」をお届けします。