2022.06.12 22:00
創世記第1章[5]
完成人間を見本に創造の業
太田 朝久
太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。
創世記第1章の「創造の秩序」について、フランシスコ会訳聖書の注解は「八つのみわざが三日から成る二つの対称的な期間に行われたように述べている(第一、二、四、五日にはそれぞれ一つのみわざ、第三、六日にはそれぞれ二つのみわざ)」がなされたことを指摘した上で、「最初の三日間は分離のみわざ……1 光がやみから分けられ、昼と夜が生じた 2 水の中に大空が造られ、上の水と下の水とに分けられた 3 下の水が集められて海と地が分けられ、地から植物が生じた……あとの三日間にそれぞれの領域に住むものを創造した…すなわち、1 昼と夜をつかさどる光体 2 水の中に魚、空に鳥 3 地上に動物と人間が造られ(た)」――と述べています。
すなわち前半の3日間で神様は環境づくり(「エデンの園」という場の設定)を行い、後半の3日間で、それぞれの環境において活動する(動く)もの――1日目の光と闇に対し、4日目の太陽と月・星。2日目の天(大空)と水(海)に対し、5日目の鳥と魚。3日目の陸と植物界に対し、6日目の動物と、最後に被造世界を管理する主人(人間)――を創造したというのです。
前々回述べたように、創世記冒頭の「はじめに」という言葉は、個性完成したアダム(ロゴス)を意味しており、神様はそのロゴス(人間を中心とする被造世界という構想理想)を中心に据えながら、まず“エデンの園”という環境(鉱物界、植物界)を準備し、続いて“動物(生き物)”を順々に創造していかれたというわけですから、これは創世記第2章で述べられている創造の秩序と、基本的に一致しているとみることができます。
なお「統一原理」は、人間(個性完成したアダム)を標本にしながら、全ての創造のみ業(わざ)がなされていったと考えています。
被造世界の中心が人間
被造世界の中心存在(主人)が人間であるように、神様が初めの3日間で準備した「環境」に色を添える主役的存在が、3日目の最後に造られた“実を結ぶ木―果樹”であると言えるでしょう。
また、5~6日目にかけて創造された動物は、神様が人間を標本に創造された万物ですので、従ってその創造の順序もまた、人間の肉身を準備する“胎中生活”の形成過程(縦的時間軸)をモデルに、下等なものからより高等なものへと順序立てて創造していった(横的時間軸)と考えられます。
人間の肉身が母胎で40週間をもって形成されるように、生物の創造もその数理性に合わせて(例えば約40億年かけて)展開していったとみることができます。その場合、人間の肉身の形成が母胎の羊水の中から始まったように、生物の創造も水(海)の中から始まったと言えます。
また人間の肉身がたった一個の受精卵(単細胞)から始まるように、生物の創造も、まず単細胞動物から始まったと言えます。その場合、人間は受胎の瞬間すでに雌雄が決定していますが、しかし外形的に全く雌雄が不明瞭なように、原始的な単細胞動物は雌雄を内在化させて創造したと言えます。
つまり、人間に近い高等な生物ほど雌雄が明確で、原始的な単細胞に近いものほど雌雄が曖昧だと言えます。さらに人間の肉身の形成過程には、まず魚類のエラ、次に両生類の水かき、そして哺乳類の肺が順次現れるように、神様はその形成過程に似せて、単細胞→魚類→両生類→哺乳類という順序で創造されたと言えるでしょう。
そして創造の業の最後で人類(アダムとエバ)が地上に出現したとき、彼らに「生めよ、ふえよ、地を治めよ」「取って食べるな」というみ言を与え、創造目的(三大祝福)の実現を目指していかれたのだと言えます。
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次回は、「創世記第1章[6]被造物の成長期間」をお届けします。