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創世記第1章[4]
創造の二段構造

(光言社『FAX-NEWS』より)

太田 朝久

 太田朝久氏(現・神日本家庭連合教理研究院院長)・著「統一原理から見た聖書研究」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 世界のベストセラーといわれる『聖書』。この書を通じて神は人類に何を語りかけてきたのか。統一原理の観点から読み解きます。

 神の天地創造を考えるとき、キリスト教は“無”からの創造を主張してきました。そして創世記11節は、無からの創造を裏づけていると考えました。

 ところが前回述べたように創世記冒頭には別の読み方があり、必ずしも無からの創造を支持するとは限りません。グンケルなどがこの別の読み方を採用していますが、政池仁氏は「文法的にはどちらにもとれるが、それでは全く力のぬけた文となる」としてそれを退けています。しかしこれでは自分の好みに合わないので嫌だと言っているに過ぎません。

 このように創世記冒頭をどう読むかという問題は、無からの創造を主張するキリスト教にとって、少々厄介な問題を引き起こしています。

天地創造は神様の前エネルギーによる
 科学の進歩に伴って、物質の根源は何かを探究していく中で、それは究極的に無形のエネルギーであるという結論が導き出されるに及んで、キリスト教界には「無からの創造を裏づける科学的根拠」と期待する思潮がわき起こった一時期もありました。

 しかし量子力学の到来によって、無についての見方が、キリスト教でいう「何も存在しない」という意味での無とは違うものへと変化していったのです。確かに真空(無)の状態から、物質と反物質の粒子ペアが生まれることは可能ですが、その真空とは、ただ単に何も存在しない状態とは違って、何かが存在しているという状態での“無”であり、それらを指して「バーチャルペアの創造」と呼んでいます。

 さて「統一原理」では、この問題をどう考えることができるでしょうか。『統一思想要綱』の「原相論」によれば、神は性相と形状の二性性相をその属性としてもっており、神の形状とは神の体に相当する部分であり、被造物の有形の物質的側面の根本的な原因であると説明しています。そして神の形状も一種のエネルギーであるが、それは被造世界のエネルギーとして現象化する前段階のエネルギーであって、それを「前エネルギー」という(2732ページ)としています。

 つまり神は御自身の形状(前エネルギー)を使って、被造世界を創造したというのです。しかも心情動機説を打ち出しており、これについて『統一思想要綱』は「心情動機説は創造説と流出説の論争に終止符を打つ…創造説は神は世界を創造されたという主張であるが、創造の動機が不明であり、無から物質が造られたという難点があった。一方、流出説は、すべては神のうちにあったものであり、神から流れ出たという主張であるが、そのために神と世界の区別がなくなり、汎(はん)神論になってしまった。それに対して心情動機説は、世界のすべての原因は神の中にあるが、世界は神から流出したのではなく、心情を動機として、神が御自身の性相と形状を授受作用させながら、世界を創造されたと説明する」(45ページ)としています。

 なお、創造の二段構造を見て分かるように(図参照)、神の本質は「心情」であり、その心情の目的を中心に、神は性相(ロゴス)と形状(前エネルギー)を授受作用させながら、被造世界を創造されました。その場合のロゴスとは、神の思考であると同時に、神の発した言葉であり、創造に際しての各被造物の設計図なので、これも神の創造物にほかならないというのです。

▲創造の二段構造(画像をタップすると拡大してご覧になれます)

キリスト教も真理の一部は言い表す
 結局、何も存在しない“無”からの創造ではなく、神は、物質の根本原因である神の形状(前エネルギー)を用いて天地創造をされたのです。

 『旧約聖書略解』(日本基督教団出版局)も「【地は形なく、むなしく】『地』とはここでは宇宙がこれから形づくられる資材である。それはいまだ秩序が与えられていない原始の混沌の状態であった……『やみ』も『淵』も神が創造したということはこれまでには書かれていない。それ故に、神は無から天地を創造したのではなく、それ以前に原始の混沌が存在していたと解するものもある」(5ページ)と指摘していますが、実に創世記冒頭のこういった解釈は、「統一原理」の主張の正しさを、先駆けて暗示的に物語っていたと言えるでしょう。

 では、キリスト教のいう無からの創造は間違いかというとそうではなく、内的発展的四位基台だけを見れば分かるように、神の本質は心情であり、したがってロゴス(構想)も何もない、無の状態から創造を始められたという意味において、キリスト教の主張は真理のある一部分を言い表していたと擁護することもできます。

 ちなみにイエス様と同時代に活躍したユダヤ人哲学者フィロン(BC25AD50頃)は、神はその意志を実現するため、まずロゴス(神の子と名づけている)を造り、そのロゴス(創造原理)を媒介として被造世界を創造したという“創造の二段構造”に類似した思想を打ち出していました。

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 次回は、「創世記第1章[5]完成人間を見本に創造の業」をお届けします。