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スマホで立ち読み Vol.15
『生きた神様が働くとき』12

神明忠昭・著

(光言社・刊『ドクター神明の信仰エッセー 生きた神様が働くとき』より)

 スマホで立ち読み第15弾、ドクター神明の信仰エッセー『生きた神様が働くとき』を毎週土曜日(予定)にお届けします。
 困難の中でも生きて働かれる神様の愛を発見する秘訣(ひけつ)を教えてくれる一冊です。

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第一章 愛して、仕えて、一体化

7 自己の主体的信仰と中心者との関係(1

 私は今までの信仰生活で、中心者からああしなさいと言われればああし、こうしなさいと言われればこうすることをモットーとしてきました。それは献身的に歩む者として当然のことでしたし、また、そのようにして神様の恵みを感じてきました。

 しかし、中心者も完全な人間ではないので、不適当な指示や命令をすることがありえます。そのようなときは神様に祈りました。祈ると、「たとえ中心者が間違っていても、愛して仕えて一体化せよ」という答えがいつも返ってきました。

 「なぜ、愛して仕えて一体化しなければならないのですか?」とさらに聞くと、「おまえが温かい愛の心でそうすることを条件として、中心者も、おまえを通して私の力が働いていることに気づかされる。そのようにして、おまえと中心者の間の授受作用が始まれば、それを基盤として私の啓示が最終的に双方に与えられるようになるのだ」というのが、神様からの答えでした。

 ですから、たとえ最初は少々難しいことがあったとしても、最終的に神様の願いが成されるために、私は中心者の成功を心から願いながら、愛して仕えて一体化してきました。それは目の前の怨讐(おんしゅう)に対しても同じであり、彼らに対して愛して許して一体化するように努めてきました。それはあくまでも、神様が双方に等しく啓示されるためです。

 ところが、そのようにして最終的に神様の願いが成されるまでには、時間がかかることもあります。そのため、中心者の命令を受け入れて一体化することによって、即座に良くない結果が出てくるような場合はどうするのか、というような疑問も残るかもしれません。

 例えば、19919月に、それまで米国で活躍してきたある先生が日本教会の会長になられたとき、私はそのようなことを経験しました。そのとき、米国在住の43双と777双の日本人は全員「例外なく」日本に、即座に動員されることになったのです。

 私は、UTS(米国統一神学大学院)での直接の中心者である総長に、自分の身の振り方を伺いました。総長はすごい剣幕で、絶対に日本に行ってはならない、日本に行く気配が一寸でもあればただでは置かないぞ、とまで言いました。

 こういう場合、普通は中心者の前に萎縮してしまって従うのでしょうが、私としては何よりも神様のみ旨が大切なので、そのようなことを言われても平気でした。それよりもUTS全体が神のみ旨と歩調を合わせないことが、大変な問題なのではないかと思いました。

(続く)

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 次回は、「神様の導きによる信頼関係」をお届けします。お楽しみに!



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