2022.05.28 12:00
スマホで立ち読み Vol.15
『生きた神様が働くとき』11
神明忠昭・著
スマホで立ち読み第15弾、ドクター神明の信仰エッセー『生きた神様が働くとき』を毎週土曜日(予定)にお届けします。
困難の中でも生きて働かれる神様の愛を発見する秘訣(ひけつ)を教えてくれる一冊です。
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第一章 愛して、仕えて、一体化
6 恵みを受けた弟たちに対して嫉妬心を抱かなかったとき
私は1985年1月からUTS(米国統一神学大学院)で教え始めました。そのとき、「家族をUTS内に連れてこないように」と初めに言われていたので、いつもタリータウン(バリータウンより125キロメートル南に位置する町)の自宅から片道1時間半、車を運転して通勤していました。そのうち、私のポンコツ車が使用不能寸前になってきたので、通勤を継続するため、どんな車でもいいからそれを買うための費用の一部でもUTSで払ってほしいと願い出ました。子供4人を抱えていた私は、UTSでの安い給料では余裕がなかったのです。
しかし、UTSにも経済事情があったせいか、私の願いは一蹴されてしまいました。このくらいの願いだったら受け入れてもらえるのではないかと期待していたのですが、だめでした。しかたなく、週末は家庭教師のアルバイトなど他の仕事をして、自分の責任で自動車を調達しました。
さて、私が教鞭(きょうべん)を執り始めてから3年ぐらいたって、米国人の後輩二人(UTS卒業生)が、私と同じように他の大学で博士号を取得し、UTSに戻ってきて教えるようになりました。
私の専門はキリスト教神学でしたが、彼らの専門はそれぞれキリスト教会史と世界諸宗教でした。幸いにも彼らは、自分の妻子全員をUTS内に連れてきて住まわせてもよいということになりました。
さらに、その二人の後輩は総長に、彼ら二家庭が共同で使用する新車のワゴンを1台買ってほしいという要望を提出しました。私のときと違って、総長はそれを承認しました。
いよいよ、スタッフと食口(シック)の教授陣を交えたある日の朝食会で、その承認が発表されることになりました。総長自ら発表をしたのですが、その瞬間、私のことが気になったせいか、総長が私の顔をちらっと見たのです。
私も人間ですから、遠い自宅からの通勤のために、自動車は喉から手が出るほど欲しいと思っていました。しかし、私の願いは蹴られ、二人の後輩は学内に住んでいて自動車の必要性はあまりないのに、新車を買ってもらうことになったのです。その現実を、正直なところ受け入れ難かったのは確かです。
ですから、そのときに私は文句を言うこともできたのです。しかし、そこは我慢して、何もなかったかのごとくふるまい、恵みを受けた後輩である弟たちに嫉妬せず、かえって彼らを祝福してあげられるような心情をどうか持たせてください、と天に祈りました。
総長は、私の顔が乱れたようすもなく平安なようだと感じて安心したらしく、会合の議題は次に移りました。
その後のことです、私が真のお父様をより近く感じるようになったのは。内的にお父様がそばにいらっしゃるように感じて、人を見ては涙ぐみ、山や木、建物を見ては涙ぐむようになりました。この愛の力の恵みは、自動車などの万物には代えられないものでした。
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次回は、「主体的信仰と中心者との関係」をお届けします。お楽しみに!