日本人のこころ 62
紫式部『源氏物語』(上)

(APTF『真の家庭』283号[20225月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

親子孫の人生物語
 今年1月、腸閉塞で1週間入院し、思いがけない時間ができたので、先延ばしにしてきた『源氏物語』を、林望さんの現代語訳で読みました。その前に、谷崎潤一郎の研究で知られるたつみ都志さんの『もう一度読み返したい源氏物語』を読んで、『源氏物語』は単なる貴公子の恋愛話ではなく、親子孫の三世代にわたる長い人生の物語だと知ったからです。林さんは、恋の物語を横糸だとすれば、縦糸は親子の物語だと言っています。

 冒頭の、光源氏が父桐壺帝の寵愛する女御・藤壺と情を通じながら、六条御息所とも契ったり、五月雨のある夜、宮中に宿直する若い公達と「雨夜の品定め」を行う場面などは源氏のプレイボーイぶりが描かれていますが、次には源氏の子供たちの物語になり、最後は源氏の死後、彼の孫たちの話で終わります。

 54帖もの長編を書いた紫式部の意図は、今だけでなく、長い人生の先を見て、どう振舞うか考えさせることにあったようです。その相手は藤原道長の娘・中宮彰子で、書いていた物語の評判から、彰子の家庭教師に招かれたのでした。紙が貴重だった当時、紙を提供されるとその都度書き、仲間内で批評し合っていたそうです。

 紫式部は平安時代、970年ごろの生まれで、越後守(えちごのかみ)を務めた父の藤原為時は下級貴族ながら花山(かざん)天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人でした。紫式部は京の官僚だった藤原宣孝(のぶたか)に嫁ぎ、一女を産みますが、3年ほどで夫と死別し、その後、『源氏物語』を書き始めます。

 幼少のころから漢文を読みこなすなど才女ぶりを発揮し、宮仕え中の日記『紫式部日記』や和歌集『紫式部集』を書いています。父が越前国の受領(ずりょう:現地に赴任する行政の長)になり、若い紫式部はそこで2年を過ごしたので、福井県越前市には紫式部公園があります。

 上賀茂神社の境内にある片岡社は、上賀茂神社のご祭神・賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母で、縁結びや子授け、家内安泰のご神徳があるとされる玉依比売命(たまよりひめのみこと)を祀っています。紫式部もよくお参りしていて「ほととぎす声まつほどは片岡の もりのしずくに立ちやぬれまし」(ホトトギスの声を待つ間はずっと、あの片岡の森の梢から滴る朝露に立ちぬれていようかしら)という和歌を残しています。

▲紫式部(ウィキペディアより)

日記文学を集大成
 日本には古代から中世にかけて発達した文学のジャンルとして日記文学があります。男性の日記は、世襲で官職を継承していたため、親が子にいつ、何を、どうするか書き残したのが主でしたが、女性の場合は、背景にある人生の真相や思いを描いたもので、ひらがなで書かれました。有名な『土佐日記』は紀貫之(きのつらゆき)が「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」として書いたものです。『源氏物語』にはそうした日記の話が多く取り込まれて、貴族社会の愛憎や嫉妬、確執、権力闘争などがリアルに描かれています。

 中国から漢字を導入した日本人は、それから日本語の音を合わせて表記する万葉仮名を考案し、平安時代に漢字からひらがなとカタカナを作り、表現方法を豊かにしてきました。律令制度で国づくりをしたので、公的な仕事では漢文を使い、いろいろな思いは漢詩や和歌で表現していました。官僚は漢文と漢詩が作れないと仕事ができなかったのです。

 漢字を自由に使うには学問が必要で、学問をする機会が少なかった女性には難しかったのですが、やさしいひらがなやカタカナが普及すると、女性も読み書きができるようになります。学問好きの女性たちが日記を書くようになったのが平安時代で、とりわけ宮中に仕えた清少納言や紫式部などが活躍します。

 『源氏物語』の内容を少し紹介しておきます。当時の結婚は、男性が女性の家に通う形でしたから、上流の男性は複数の女性を妻としていたのです。

 桐壺帝は桐壺更衣(こうい)〈下位の女御〉を寵愛して皇子をもうけますが、更衣はやがて病死してしまいます。帝は死んだ更衣に生き写しの藤壺を入内させ、寵愛するようになります。皇子は藤壺に亡き母を重ね、慕うようになります。元服し才能を開花させた皇子を、臣下として重用しようと考えた帝は、臣籍降下させ源姓を与えます。光り輝く美貌から、彼は光源氏と呼ばれるようになり、左大臣の娘葵の上の婿に迎えられました。

 やがて源氏は藤壺と情を通じ、六条御息所(みやすどころ)とも契り、従姉妹の朝顔の斎院にも文を届けるようになります。五月雨の夜、宮中に宿直する源氏のもとに若い公達が集まり、女性たちについて「雨夜の品定め」をします。翌日、物忌みに出向いた邸で、源氏は人妻の空蝉(うつせみ)と関係を持ち、源氏は彼女の弟を通じ逢瀬を求めるのですが、空蝉は拒み続けます。

 源氏は身分を隠したまま、親友・頭中将(とうのちゅうじょう)の元恋人で、行方知れずになっていた夕顔と関係を持ちます。源氏は可憐で素直な夕顔を深く愛しますが、嫉妬のあまり生霊となった六条御息所が、夕顔にとりついて殺してしまい、源氏は深く嘆きます。

 翌春、傷心の源氏は病気治療に赴いた北山で、祖母の尼と住んでいる美しい幼女を見かけます。幼女は藤壺の姪で、執心した源氏は手元で育てたいと申し入れますが尼君は応じません。その夏、病気のため宿下りしていた藤壺と源氏は密会し、藤壺は妊娠します。冬、北山の幼女を半ばさらうように引き取った源氏は、理想の女性に育てていきます。若紫と呼ばれた彼女が、後に源氏が理想の妻とした紫の上です。

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