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スマホで立ち読み Vol.15
『生きた神様が働くとき』9

神明忠昭・著

(光言社・刊『ドクター神明の信仰エッセー 生きた神様が働くとき』より)

 スマホで立ち読み第15弾、ドクター神明の信仰エッセー『生きた神様が働くとき』を毎週土曜日(予定)にお届けします。
 困難の中でも生きて働かれる神様の愛を発見する秘訣(ひけつ)を教えてくれる一冊です。

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第一章 愛して、仕えて、一体化

5 イエス様も絶対にメシヤだ!(1

 私は統一運動のメンバーとして、メシヤであられる真のお父様と真のお母様の路程を思うと、大きな愛と勇気の力が与えられます。それにより、試練のときにも人を心から愛し忍耐することができたと思います。

 同時に、2千年前に来られたイエス様も、たとえ十字架上の死の路程を行かれた方だとしても、いや、十字架の路程を行かれた方であるがゆえに、メシヤとしてのすごい愛の力を持たれている、ということを言いたいと思います。実際、そのようなイエス様の愛を私は肌で感じました。

 UTS(米国統一神学大学院)で教え始めてから3年ほどたった1988年頃のことです。UTSスタッフの中に問題児の女性(ユダヤ系米国人)がいました。彼女は協調性がゼロで、しょっちゅう人とぶつかっていました。また、他人から忠告されたり指図されたりすると、すぐに怒り出すのでした。

 あとで分かったことですが、彼女は幼いときに実父から虐待を受け、それがトラウマとなっていた、かわいそうな食口(シック)だったのです。

 彼女の問題を聞いた総長は、彼女に辞めてもらいたいと思ったようです。しかし、総長の独断によるのではなく、その前に一応皆の意見を聞いて、皆のサポートのもとに公式発表をしようということになり、UTSのトップ78人を集めた会合が開かれました。

 彼らはみな、すでに総長の願いを知っているものですから、「はい。辞めてもらうべきです」と答えました。

 ところが私の心の中には、それとは全く異なる思いがフツフツと湧いてきたのです。その思いがあまりに強いので偽ることもできず、「どうして辞めてもらうべきなのでしょうか。今まで私たちは彼女のために、一体どのくらいの時間を割いて、面倒を見ようとしたでしょうか」と失礼にも言ってしまいました。

 総長も皆もびっくりしていましたが、「それでは、ドクター・シンミョウが責任を持って、彼女の面倒を見てくれたまえ」と総長が私に宣告して、会合は終わりました。

(続く)

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 次回は、「皆に仕えるために歩みたい」をお届けします。お楽しみに!



「一気に読んでしまいたい!」というあなたへ

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