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スマホで立ち読み Vol.15
『生きた神様が働くとき』4

神明忠昭・著

(光言社・刊『ドクター神明の信仰エッセー 生きた神様が働くとき』より)

 スマホで立ち読み第15弾、ドクター神明の信仰エッセー『生きた神様が働くとき』を毎週土曜日(予定)にお届けします。
 困難の中でも生きて働かれる神様の愛を発見する秘訣(ひけつ)を教えてくれる一冊です。

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第一章 愛して、仕えて、一体化

2 日本人はキリスト教神学を教える資格がないと言われて

 いろいろな障害を通過して、19851月初めに始まる冬学期から、私はやっとのことUTS(米国統一神学大学院)で教鞭(きょうべん)を執るようになりました。その直後の4月初頭から始まる春学期には、いよいよ「キリスト教神学序説」なる必須科目を教えることになりました。ところが、そこに待っていたのは、一部の学生からの日本人に対する偏見でした。

 当時のUTSは、ほとんどの学生が米国人食口(シック)でした。そこで、第2次世界大戦でサタン側のエバ国家であった、雑教・多神教の日本出身の、どこの馬の骨とも分からないような私がキリスト教神学の講義を壇上からするわけですから、そこに抵抗する学生も中にはいたのです。

 その中に、私の講義を12回聴いた後、嫌になって、必須科目なのに“二度と教室には戻るまい”と決意した1人の白人の女子学生がいました。

 彼女は悔し涙を流しながらチャペルに走り込み、必死で次のように祈ったといいます。

 「神様、どうしてあの日本人が、私たち米国人にキリスト教神学を教えなければならないのですか」

 するとそのとき、霊界から声が聞こえてきたそうなのです。

 「心配するな。あの日本人の男は、このUTSの中で誰よりもクリスチャン的な人間だからね」

 それで彼女は、霊界からの声がそう言うのならば、それが本当かどうかを確かめるために、半信半疑ながらも一応教室に戻ることにしたのです。そして、学期の最後まで私の講義を聴き、やはり霊界からの声は正しいと感じたというのです。これは、その学期が終わってから、実はこういうことがあったと彼女のほうから告白してきたので知ったことです。

 私が当時、UTSの中で誰よりもクリスチャン的であったかどうかは分かりませんが、もし「クリスチャン的」という意味が、たとえ神様から捨てられても神様を捨てずに感謝して、勇気を持ってみ旨を愛し抜く、ということであるならば、それが少しは分かるような気がします。

 当時私は、あまりにも忍耐せざるをえない道を通過させられ、それでも感謝し、そこにかえって神様の大きな愛の力を感じるようになっていました。それで、善人を見ると涙し、悪人を見ると愛ゆえに恋しくて、さらにもっと泣いていたのです。

 私が高校1年のときに、国際ギデオン協会が福島県会津地方の田舎にある私の高校にやってきて、新約聖書を無料配布してくれました。私はそのときの新約聖書を肌身離さず持ち歩き、いつも読んでいました。そして福音書のイエス様の言行にひそかに感動していました。でも洗礼は受けていないので、クリスチャンではありませんでした。実家は仏教、神道、儒教が雑居する、それこそ雑教・多神教です(ただ、先祖の中に処刑されて殉教したキリシタンがいると聞いたことがあります)。

 このような不足な日本人である私ですが、イエス様の苦難の土台の上に、真の父母様が生身でもってさらに苦労して、本当の一神教を紹介してくださいました。その一片にでも触れさせていただいたことに、感謝いたします。

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 次回は、「争いをやめさせた神様の役事」をお届けします。お楽しみに!



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