https://www.kogensha.jp

心情開拓
心霊を育てる生活原則(46)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

神によって定められたアベルの立場

 そして、信仰人物は決定され、実体基台の環境になったのです。アベルの立場は神によって定められたものです。アベルもカインも、その時は不快心もなく親しかったはずなので、お互いに一つの目的をもって供え物をしたでしょう。お兄さんも弟も供え物だから別に問題もなく、どうすればいいのか相談したはずです。

 しかし、神が祝福した結果、アベルはどうすればいいのかというと、カインの立場へ行き、カインの情に対して責任をもたなければならないのです。アベルが祝福を受けた立場にいるから、カインは寂しくなってしまったのです。アベルはカインの立場で、かえって心配しながら、「兄さん、私は兄さんが先に祝福を受けると思っていましたが、神様がなされたことに対してどう思われますか。本当に私は兄さんに対して面目がありません」と言って、カインに対して悔い改めなければならないのです。

 確かに、祝福したのは神様ですが、「こういう立場に立たされたことを神に祈ってみるので、しばらく待ってくれないか」と、アベルはカインの立場を十分理解しながら、心情的に痛みをもってカインに対すれば、カインのほうも「いいよ、いいよ」と、そう思ったはずです。カインは、自分より以上にアベルがすぐに悔い改めるものだから、不快心をもったとしても、和らいだことでしょう。なぜかというと、弟のほうがかえってカインの立場を理解し、カインの心情を体恤(たいじゅつ)するからです。そうするとカインは、「いいよ、二人とも受けられなかったならどうするんだ。どちらが受けようと、家庭で一人でも受けられたならいいではないか。私は我慢するので、あとのことは神に任せてみようではないか」と、こういう知恵が出てくるかもしれないのです。

 アベルの立場にいる人が、カインの立場を情的に体恤したなら、必ず向こうに知恵が出るのです。そして「二人の中で一人でも祝福を受けられたなら幸いではないか、もし今度しくじったならどうなるんだ。私たちの家庭で一人だけでも、神の前に立たせてもらったのは幸いであるので、私は兄の立場でというより、摂理の立場で待っているから、お前苦しむな」と、かえって兄として弟を慰めたかもしれないのです。しかし、アベルの立場でカインの事情を、同情というか、体恤しなかったから、お互いに授受できなかったのです。

---

 次回は、「だれを通過すべきか」をお届けします。


◆『心情開拓』を書籍でご覧になりたいかたはコチラ