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預言 16
おかしな面会

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「小説『預言』」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

16 おかしな面会

 ある日、智敏(ジミン)は面会に行く文(ムン)の後について行った。昨夜は隣の部屋から一晩中、祈祷するようなつぶやきとともに、時折、大きな息遣いの音が聞こえてきた。

 単に年を取って睡眠時間が短くなったのだろうと考えていたが、今日は午前中、ずっと壁に向かって正座をし、智敏と目も合わせなかった。

 かと思えば、面会の通知を受けると即座に立ち上がり、普段とは全く違う様子で部屋を出て行ったのである。

 それはまるで、世紀の対決に臨むボクシング選手がこの日を待ちわびていたように、自信満々にリングに向かって歩いていく姿だったため、智敏の好奇心がうずいた。

 ダンベリー刑務所は物々しい雰囲気のA棟と自由な雰囲気のB棟に分かれていた。智敏の収監されたB棟は丘の上にぽつんと立っており、景色が良く、空気もすがすがしい所だった。

 雰囲気も監獄とは呼べないほど緩やかで、文が反対しない限り、智敏が一緒に面会の場に行くことに何の問題もなかった。

 「待ったかい?」

 文は、しとやかに座って待っていた女性に向かって挨拶し、手を握った。

 慈しみ深い雰囲気を醸し出しているその女性もまた、うれしそうに文の手を取り、二人はしばし深い信頼と愛にあふれたまなざしを交わしていた。

 「私がここに来てから1日も休むことなく、毎日来てくれるのはとてもありがたいが、1日に5、6時間も車に乗っていなければならない君のことを考えると、心が重くなるよ。だから、これからは1週間に1回だけ来てくれないか」

 文の言葉から察するに、女性は毎日ここを訪れているようだった。

 毎日のように面会に行く文を横目に、よくもひっきりなしに信徒が訪れるものだと思っていた智敏はひどく驚いた。

 「いいえ、あなたがこのダンベリーから出る日まで、1日も欠かさずに来ることを心に決めたのです」

 「それでは私の心が休まらないよ。どうしてもというなら、3日に1度にすると約束してくれないか」

 女性は文の再三にわたる懇請にもかかわらず、首を横に振り続けた後、3、4歩下がった所にいる人物を指し示した。

 「一緒に来ました」

 文はその時になってようやく、女性の後ろで手を前にそろえて待っている人物に目をやった。智敏はこの者こそ、文の待っていた人物であることを悟った。

 「カプラン博士、遠いところ、ありがとうございます。お疲れでしょう」

 「楽しい旅でした」

 「私の友人を紹介しましょう」

 文は彼の妻とカプランに、智敏を友人だと紹介した。

 囚人服を着た智敏は、カプランの差し出した名刺をさっと一瞥(いちべつ)しただけだったが、気後れを感じないわけにはいかなかった。

 科学の統一に関する国際会議(ICUS)議長、シカゴ大学政治学教授

 刑務所で日がな一日掃除に明け暮れる文の面会客としては、あまりにもたいそうな肩書きだった。

 いまだかつて接したことのない種類の人間に対して覚える違和感に、智敏はわざと素っ気なく、ソファに身を沈めた。

 文の前で書類カバンを開けたカプランは、やがて智敏には理解しにくい、理念だの体制だのという話を、聞き慣れない外国の名前を挙げながら始めた。

 気分転換のつもりでついて来たのに、これほど複雑な話を聞かされることになろうとは思いも寄らなかった。

 智敏は、知らず知らずのうちに押し寄せる睡魔に襲われ、こっくり、こっくり、船をこぎ始めた。

 「来年のスイスの大会には、世界的に著名な科学者が342名、参加することになりました」

 非現実的な話が右から左へと流れ、だんだん智敏の意識が遠のく中、文が口を開いた。

 「カプラン博士、今日博士に急いで来てもらったのは、時が来たからです。その場で共産主義の終焉(しゅうえん)を宣言してください」

 文の思いがけない言葉にカプランは仰天し、持っていた書類を落としてしまった。

 今にも眠りに落ちようとしていた智敏もつられて驚き、目を丸くして文を見つめた。あまりにも突拍子もない話に、カプランが問い返した。

 「何ですって?」

 「ソ連が7年以内に滅亡すると発表しなさい、と言ったのです」

 文は同じような言葉を繰り返した。

 カプランは愚にも付かないといった様子で両手を振った。

 「いや、まさか。今、共産主義は世界的に広がりつつあります。ソ連はその宗主国として猛威を振るっているではありませんか。藪(やぶ)から棒に、7年以内に滅びるなどとは……。著名な科学者が参加する大会ですよ。しかも彼らはソ連の技術や科学、兵器システムのことをよく知っている人々なのに、そこでそんな宣言をするのですか?」

 「しなければなりません」

 「先生、あと100年は、ソ連が滅ぶことなどあり得ません。絶対に。一体どうして突然、ソ連が滅びるなどとおっしゃるのですか?」

 「滅びます。じきに滅びます」

 「根拠はどこにあるのですか。先生、私は学者です。学術大会でそのような願望を発表することはできません。根拠があって、資料があって、妥当な仮説を立ててこそ、結論を主張できるのです。そのような発表をするのなら、根拠を示さなければならない」

 「私の祈祷の結論です」

 「祈祷ではなく、論理が必要です。学問というのは、論理でしょう?」

 「博士は学術的根拠と言われますが、私の言葉がすなわち、根拠なのです。私の言葉を根拠として宣布してください」

 カプランは顔を真っ赤にして、どうしたらいいのか分からずに文を見つめた。

 文はそんなカプランをじっと見据えていたが、やがて立ち上がると、夫人の手を取って外に向かった。

 「博士、少し頭の中を整理してください。私はしばらく散歩してきます」

 文はカプランを置いて外に出て行った。

 夫婦水入らずの時間を過ごす二人にくっついて行くこともはばかられ、ぽつんと取り残された智敏は、にわかにカプランと二人きりになってしまった。

 学者というものを初めて見る智敏が、何と言葉をかけるべきかも分からず、ソファに座り込んだまま素知らぬ顔をしていると、カプランが先に口を開いた。

 「馬鹿げた話だと思うでしょう?」

 「ああ、はい、まあ」

 「しかし、絶対にあり得ないというわけでもないんですよ」

 「そうなんですか?」

 上の空で答える智敏に向かって、カプランは過去の記憶をたどりながら、ゆっくり話し始めた。

 先のアメリカ大統領選挙の際、文と彼の財団がアメリカ政府と協力関係を築くために、最大限の努力をしていたにもかかわらず、官吏らは誰も会おうとしなかった。

 “大統領を味方につけよう”

 突然、文は彼の財団が所有する新聞「ニューズ・ワールド」のトップに、「レーガン地滑り的勝利」というタイトルの記事を掲載して配布するように指示した。

 これに対し、新聞社の全社員がとんでもないと言わんばかりに反対した。まさか、開票が始まったばかりのタイミングで、「圧倒的勝利」などという記事を出せとは。

 もちろん、可能性の高い候補者の当選を予想してあらかじめ原稿を用意しておき、開票が終わると同時に印刷に入ることはできた。それが印刷媒体である新聞にできる、最も早い報道の流れだった。

 しかし、文は自らの主張を曲げなかった。結局、役員らは新聞社をたたむ覚悟で、開票が始まると彼の指示どおり「レーガン地滑り的勝利」という大きなヘッドライン入りの新聞を刷り、ばらまいた。

 万が一、異なる結果になれば、社会的批判にさらされるばかりでなく、場合によっては、廃刊も免れられないだろう。

 幸いなことに、結果は新聞の見出しどおり、レーガンの圧勝だった。

 レーガンは朝食を取るよりも先にこの新聞を手に取り、カメラに向かって破顔大笑した。彼が、朝目が覚めるとまず「ニューズ・ワールド」に目を通し、文の財団がすることならば水火も辞さず尽力するようになったのは、当然の帰結だった。

 レーガン当選を最初に報道した新聞として有名になった新聞社は、その後「ワシントン・タイムズ」として発展を遂げた。

 こうして、彼らが苦心してつくり上げてきたアメリカ政府との関係は、これ以上ないほどに近しくなり、長期間にわたって親密な関係を維持することができたのだった。

 「あの人は新聞社まで持っているのですか?」

 カプランの話を聞いていた智敏が驚いて尋ねると、むしろカプランのほうが不思議そうに首をかしげた。

 「君は先生がどんな方なのか、知らないのかね?」

 そして、しばし智敏の囚人服に視線を送り、得心したようにうなずいた。

 「ともかくそうなんだよ。先生は思考と決断の幅が普通の人間より広くてね。ご本人は摂理という言葉を使うがね。しかし、今度の問題は違う。ソ連は滅びない。それも10年以内というなら、なおさらだ」

 「いつかは滅びるんですか?」

 「ローマ帝国も滅びたし、大英帝国だって滅びたのだから、ソ連もいつかは滅びるだろう。しかし、今じゃない。今なら、ソ連のほうがアメリカの倍は強い。軍備も思想も、あの宇宙飛行でさえも、ソ連が一歩先を行っている」

 「じゃあ、やっぱり……」

 「いや、そういう発表が頻繁に出され、記事になれば、本当に少しずつだろうが、弱体化していくかもしれない。ソ連が滅びる日を1日くらいなら早められるかもしれない。あの方はまた摂理だとおっしゃるだろうが、実際はそうじゃない。私には分かる。自らのすべてをなげうって、ソ連を打ち倒す一粒の麦になろうとされているのだ。私もまた、あの方の志に加わることに何のためらいもない。しかし学者の良心というものが、到底そんなはったりを発表することを許さないのだ」

 その時、面会室のドアが開き、文が入ってきた。

 彼はカプランの言葉を聞いていたのか、静かに言った。

 「博士、はったりではありませんよ」

 「先生」

 「共産主義は統制と強制によって成り立っている社会です。そこには愛がありません。今、人類は歴史上、かつてないほど愛し合っています。共産主義は決して神に勝つことはできません。神はつまるところ、愛であるからです。私の言葉を信じてください。長くても7年です」

 「7年以内に何も起こらなければ、私だけでなく、先生までも信望を失ってしまうのですよ」

 「それは些細(ささい)なことです」

 「私が到底発表できないと言ったら……」

 「カプラン博士! 私を見てください!」

 小さな目から放たれた、有無を言わせぬ眼光に、カプランは思わずうつむいた。

 そしてしばらく考え込んでから頭を上げ、口を開いた。

 「メイビー(maybe)を入れるのはどうでしょう。ソ連帝国が滅亡することもある、というように幅を持たせるのです」

 「カプラン博士、自信がないんですか? あなたは今までに書いた17冊の政治関連の著書よりも、『共産主義は終わった』というこの一言によって、歴史に記憶されるでしょう」

 とうとう博士は屈服した。

 「分かりました。たとえ誰も説得できない、とんでもない主張になるにしても、私は発表します」

 「その勇気、ありがたいことです」

 二人の会話を最初からつぶさに聞いていた智敏は、何がどうなっているのかさっぱり理解できないながらも、彼らの意図はおぼろげに感じ取ることができた。

 その一方で、胸がざわついて仕方がなかった。

 ソ連が崩壊する。共産主義が滅びる。さっきのような発表をいくつすれば、それが成し遂げられるのかは分からなかったが、いずれにせよ、文とあのカプランという非常に学識ある教授は、各自の分野においてすべてをなげうち、ソ連と正面対決しようとしているのだ。

 今まで智敏の見てきたところによれば、この世の中でソ連と真っ向から戦おうとする人間はただの一人もいなかった。

 そこには例外がなかった。韓国の大統領であれ、アメリカの大統領であれ、日本の首相であれ、相当数の自国民をソ連に殺されたというのに、謝罪の一つさえ引き出すことができなかった。

 せいぜい空虚な声明やソ連旅客機の運航禁止を発表する程度で、胸のすくようないかなる措置も取ることはなかった。

 しかし、この文という囚人は違った。刑務所の食堂をピカピカに磨き上げ、掃除王というあだ名まで付けられているというのに。

 「KGBが先生を放っておきませんよ」

 ゆっくりと立ち上がりながら、カプランが冗談を言った。

 文は智敏を振り返りながら、高らかに笑った。

 「腕っぷしにかけては誰にも負けない崔(チェ)さんがここにいるから、何の心配も要りませんよ」

 面会が終わり、智敏も部屋に戻った。

 彼はベッドに浅く腰掛けたまま、先ほどまでの出来事をゆっくりと振り返った。教授、新聞社……。別の世界の住人と出会い、彼らの会話を聞きながら湧き起こった感情を反芻(はんすう)してみた。

 もしかしたら彼らこそが、誰よりも熾烈(しれつ)に戦っているのではないだろうか。ソ連が崩壊する。共産主義が滅びる。あまりにも大きな話だった。

 無関係の人々に暴力を振るい、嫉妬し、戦闘機のパイロットを捜し出して殺害することに命を懸けている自分が、あまりにも小さく見えて仕方なかった。

 しかしすぐに、智敏はあざ笑うように口の端をつり上げた。彼らの言う一粒の麦だの、愛だのというものは、智敏もしょっちゅう耳にする教会の決まり文句だった。

 “宗教指導者だと言ってたな”

 元来、神を信じる者たちは、自分があたかも神と同じ位置にいるかのように、世の中のことを取るに足らないものと見なす癖があることを、智敏はよく知っていた。

 そのような点では、全く宗教人風を吹かすことのない文も例外ではなかった。

 今も文は、自殺したある麻薬組織の幹部のために、自分の部屋で何日目かになる祈祷をしている最中だった。

 ただ祈るだけでなく、体を震わせて涙を流す、真摯な彼の姿を頭から追い払うように、智敏はどさっと横になり、無理やり目を閉じた。

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 次回(6月15日)は、「告解」をお届けします。


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