2021.06.06 17:00
日本人のこころ 51
村上和雄『生命(いのち)の暗号』
ジャーナリスト 高嶋 久
サムシング・グレート
「サムシング・グレート」の提唱者で知られる、筑波大学名誉教授の村上和雄先生が4月13日、肺炎のため85歳で亡くなりました。生前、私は仕事の関係で親しく交流する機会がありました。
村上先生の最大の功績は血圧の調節にかかわる酵素・レニンの遺伝子解読に世界で初めて成功し、高血圧治療に貢献したことです。先生は1936年、奈良県天理市の生まれで、京大農学部農芸化学科を卒業して助手になった時、恩師の満田久輝京大教授の勧めでアメリカのヴァンダービルト大学に留学します。ここで後にノーベル生理学・医学賞を受賞するスタンリー・コーエン教授の研究を手伝ったのがレニンに取り組むきっかけになります。
レニンは19世紀末から腎臓にある血圧を上げる物質として知られていましたが、数多くの研究者がレニンの純品を作ろうとして全員失敗し、タブー視されていました。ところが農芸化学出身の先生はそれを知らず、果敢に研究に取り組んだのです。筑波大学に移った先生は、わずか0.5グラムの純化レニンを抽出するため、3万5千頭の牛の脳下垂体を食肉センターからもらい、若手と1個1個手むきしたことから、海外では「ドクター3万5千頭」と呼ばれるようになりました。
さらに、ヒト・レニンの研究に移り、運よくレニンを多く含む人の腎臓を手に入れ、遺伝子工学の手法で大腸菌を使ってヒト・レニンを大量に製造し、パスツール研究所やハーバード大学と熾烈な競争を勝ち抜き、全遺伝子情報の解読に成功したのです。
『生命の暗号』(サンマーク文庫)では、自身の研究から遺伝子工学の最先端、さらに死生観や人生観についても率直に語っています。
「魂は連続していて、死んで肉体が滅びても魂はなくならない。…これらのことは遺伝子レベルでは説明できません。…とはいえ、『ないこと』にはならない。私も魂は『あるのではないか』と思っています」
「無意識の世界があり、自分でもはっきり意識できない世界ですが、この世界が魂とつながっているのではないか。魂は無意識とつながっていてそこからサムシング・グレートの世界へ通じている」
遺伝子の「スイッチON」
村上先生は天理教の教会長の家に生まれ、父親は東大で自然地理学を学び、学問で身を立てたいと考えていたのですが、母親からひらがなの手紙が届き、「おまえがどんなに出世しても私はうれしくない。たとえ一生、信者さんのゲタそろえをしても、そのほうがけっこうや」とあったことから、教会の仕事に就いたそうです。
私は、京大農芸化学科の後輩という気安さから、なぜ父親の仕事を継がなかったか聞いたことがあります。答えは「宗教家が語ってもあまり聞いてもらえないが、科学者の言うことなら聞いてもらえそうだから」でした。
先生は愛国心に燃えてイネの全ゲノム解読に素晴らしいリーダーシップを発揮し、続いて、「思いが遺伝子の働きを変える」という仮説を科学的に証明するため「心と遺伝子研究会」を立ち上げ、吉本新喜劇と共同研究を行い、その成果は世界を驚かせました。そして、すべてに感謝して生きる日本人らしさを取り戻そうと、ユーモアを交えながら精力的に語り続けたのです。
先生の口癖は「私はサムシング・グレートのメッセンジャーになりたい」で、それについて『アホは神の望み』(サンマーク文庫)に次のように書いています。
アメリカでの講演でサムシング・グレートの概念を話したところ、半数が「よくわからない」だったので、「God the Parent(親としての神)」と言い換えたら、多くの人が深くうなずき、「キリスト教の神には支配的で厳しいイメージがあるが、ムラカミのいう『親神』は母性的で、人間にたいするぬくもりとやさしさがある」と評価されたのです。
つまり、サムシング・グレートは天理教のいう親神様です。教派神道の一つである天理教の親神は、人格神というより、それを含む宇宙・大自然の根本のイメージで、遺伝子の「スイッチON」の生き方とは、天理教の「陽気ぐらし」です。
生物の基本単位は細胞で、細胞の働きは遺伝子によって決定され、遺伝子は同じ一つの原理で働いています。これは全ての生物が一つの細胞から始まったことを意味します。
「私たちが草木を見て心安らぎ、犬猫に出合って親しみを感じるのは、あらゆる生物が起源を一つにする親戚兄弟だからかもしれません。科学者はこの発見を土台に生命の謎の研究に取り組み、いまようやくヒトの遺伝子暗号を解読するところまできました」
これは、最澄が唱え、日本仏教の基本にある生命観、「山川草木悉有(しつう)仏性(生きとし生けるものすべてに仏性がある)」に通じています。村上先生は「ありがとう」「おかげさまで」とすべてに感謝する日本人の生き方を、科学者の言葉で語り続けたのです。一人でも多くの人が幸福になることを願って。
親しくお話しできたのは2012年11月10日、奈良県天理市の陽気ホールで開かれた「宗教と環境シンポジウム」が最後になりました。ご冥福をお祈りします。