2021.05.09 17:00
日本人のこころ 50
金両基『能面のような日本人』『海峡は越えられるか』
ジャーナリスト 高嶋 久
初の外国人国公立大教授
金両基(キムヤンキ)さんとの付き合いは1988年、月刊雑誌で『閔妃暗殺』を書いた角田房子さんとの対談を企画したのが始まりです。雑誌に歴史小説「李朝滅亡」(新潮社から出版)を連載していた片野次雄さんと、茶畑の広がる別荘に招かれ、語り明かしたこともあります。
金さんは東京生まれの在日二世で、早稲田大学文学部を卒業し、比較文化の研究者になります。芸能や民俗の研究で1979年度文化庁芸術祭優秀賞を受賞し、韓国中央大学客員教授、カリフォルニア・インターナショナル大学教授を経て、87年に静岡県立大学教授に就任し、外国人初の国公立大教授として話題になりました。
静岡で金さんが心がけたのは在日コリアンの社会参加で、2002年、朝鮮通信使行列の実行委員会に韓国系の民団と北朝鮮系の総聯が初めて同席し、「静岡に来てから15年かけてやっと実現した」と喜んでいました。
静岡市清水区にある臨済宗清見寺(せいけんじ)には江戸時代、朝鮮通信使が6回訪れ、2回宿泊しています。豊臣秀吉の朝鮮出兵で断交していた朝鮮王朝(李氏朝鮮)との国交回復を願う徳川家康が駿府城にいたからで、江戸からの帰途、駿府に立ち寄った通信使一行を家康は歓待し、駿河湾に船を浮かべ、富士山を見せています。金さんは江戸時代の朝鮮通信使260年の歴史や清見寺の重要性を市民や行政に訴え、県市の応援を受け通信使行列の再現に尽力し、日韓共催サッカーワールドカップの年、第56回静岡まつりで実現しました。同年、金さんは韓国政府から文化勲章を贈られています。
同年のインタビューで金さんは「私は江戸っ子の在日コリアンで、妻はソウル生まれのコリアン。高校生の時、指紋押捺を拒否して話題になった二女は米国人と結婚してハワイに住み、息子は日本人と結婚、まさに地球家族だよ」とにこやかに語っていました。金さんは自分のことを「マージナルマン」(境界人)と称し、韓国と日本に属しながら、独立した自由人であることを自負していました。
家康の駿府入府から400年の「大御所400年祭」が行われた2007年は通信使の初来日からも400年なので、清見寺を中心に本格的な通信使行列の再現があり、境内で国書交換や韓国舞踊などのイベントが繰り広げられました。実行委員長として挨拶した金さんは「この感動と喜びを、日本と韓国にとどまらず世界に発信してみませんか。21世紀の静岡発国際化にしませんか。それは家康の平和外交に応える道でもあります」と語っていました。
アジアから信頼される日本に
金さんは『能面のような日本人』(中公文庫)で「もし私が日本人であったら、ことさらに、日本人とはなにかを考えることはなかった。同時に、日本生まれの二世でなければ、韓国人とはなにかを問いつづけることもなかったにちがいない。好もうと好むまいと、私の日々の生活には韓国と日本が同居している。ことばも、食事も、発想も、思想も、いつも韓日二刀流である」と語っています。
同書の「解説」で櫻井良子さんは、金さんが指摘する個人と集団のあり方の日韓比較に注目しています。金さんは、日本人の「和」は江戸時代、狭い国(藩)の中で、幕府につぶされないよう生き残ることから生まれ、そこに個人を大切にするという考えはないが、韓国では国家や民族のために役立つ「大人(たいじん)」になれと教え、そこには「集団」を内包していない、それが両国の大きな違いだと述べています。
同じ儒教文化圏にありながら、日本人が和を重んじるのに対して韓国人が自己を主張するのは、非常に対照的です。私は、大陸の半島と島国という地政学的な違い、大乗仏教の受容の差が大きいと思いますが、その差を一身に宿した金さんの日韓比較論は的確でした。
金さんの審美眼が発揮されたのは、戦前、朝鮮の工芸品に魅了され民藝運動を起こした柳宗悦(むねよし)が、李朝白磁を見て「朝鮮の美は悲哀の美」と言ったのに対して、それは日本の感性で、韓国の白は白昼の明るい太陽のシンボルカラーだと反論したことです。よく韓国人は恨の民族だと言われますが、金さんはそれより根本的なのは楽天性だというのです。確かにお付き合いした韓国の人たちからは、そんな印象を受けます。悲しみを秘めながらも、仮面劇や農楽などはとても楽しいものです。
金さんの本貫(戸籍上の故郷)は慶尚南道の城隍里(ソナンリ)。守護神に詣でると、村境の山の峠にしめ縄をめぐらしたクヌギの木があり、根元に石塚があったそうです。そこから同じ天孫降臨神話を持つ日韓の古代史、天皇と王の違いなどの探究はとても興味深いものです。
『日韓歴史論争 海峡は越えられるか』(中公文庫)は保守派論客の櫻井さんとの対談で、金さんの人間性に立脚した交流の広さをうかがわせます。いわゆる慰安婦問題では激論を戦わせながら、冷静に史実を積み重ね、読み返しても色あせない内容です。
最後に金さんは、東京からソウル・平壌・北京を結び、アジアを越えてパリからドーバー海峡トンネルを通ってロンドンに至るアジア高速道路構想に触れ、「この構想の大きなネックが一つあるとしたら、玄界灘かもしれません」とし、「問題はその進路が、かつて豊臣秀吉が、そして大日本帝国が侵攻したルートと全く同じだということです。そして、韓国が、いやアジア諸国がどれだけ日本を信頼出来るパートナーと考えてくれるかで決まる」と語っています。満面の笑みを浮かべながら鋭い言葉を語る金さんを、懐かしく思い出します。
「日本人のこころ」はこれまで週刊(毎週日曜日)でお届けしてまいりましたが、次号からは月刊での掲載を予定しています。お楽しみに!