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預言 9
表と裏

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金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

9 表と裏

 サンタバーバラの牧場で友人との時間を過ごしていたレーガンは、休暇先にかかってきた日本からの電話を、不愉快そうな表情で取った。

 「首相、レーガンだ」

 「大統領、日本から重要な情報を提供する」

 「それにしても傍受とは? どういうことかね?」

 直感的にレーガンは、2時間前にワシントンの安保補佐官からかかってきた電話を思い浮かべた。

 “ニューヨークを出発し、アラスカを経て韓国に向かった民間機、大韓航空007便が失踪しました。アメリカ人は55名搭乗しており、マクドナルド下院議員も乗っていました“

 日本の首相は一言一言、力を込めてはっきりと語った。

 「失踪した大韓航空の旅客機は今から6時間30分前に、ソ連領空でスホーイ15が発射したミサイルによって撃墜され、乗客乗員、全員が死亡したと思われる」

 「何だって? ミサイルで撃墜! ソ連領空? どこだ?」

 「サハリンのモネロンという島だが、元々は日本の領土だった所で、北海道にも非常に近い」

 「うーむ、本当か! ソ連戦闘機のミサイルに撃墜され、全員死亡だと?」

 驚くべきニュースを確かめるように口の中で何度か繰り返したレーガンは、突然目を大きく見開いた。

 事件の衝撃はさておき、別のことに思い至ったのだ。稲光が頭の中を駆け抜けるような感覚に、彼は眉をぴくぴくさせた。

 “ソ連の戦闘機が韓国の民間航空機を撃墜して、乗客乗員を皆殺しにしただと? これは……“

 レーガンの声がこれ以上ないほど鋭くなった。

 「確かな情報なのか?」

 「戦闘機のパイロットと司令室間の無線を捕捉して、録音までしてある」

 「ソ連の奴(やつ)らが民間機を撃墜したってことだな」

 レーガンは体全体が宙にふわっと浮かぶような感覚を必死に抑え込んだ。

 「首相、本当にご苦労だった。アメリカと日本は永遠に真正なる友好国だ。私個人としても、君の仁義は決して忘れない」

 「非常に鮮明な録音内容だよ」

 「ありがとう。すぐ送ってくれ。今ここで聞きたい」

 「この録音テープを公開するだけで、我々日本は5億ドル以上の傍受施設構築費用分はもちろん、有形無形の損害を計り知れないほど被ることになる」

 「その10倍以上にしてお返ししよう。しかし、差し当たり重要なのは、このテープを私以外、地球上の誰にも公開しないということだ」

 「分かった」

 「マスコミの手に渡れば、日本は功を立てるのではなく、災いを引き起こすことになるのを忘れないでくれ」

 「分かっている」

 「もちろん、私と首相との関係もおしまいになる」

 「心配には及ばない」

 電話を切ったレーガンの目尻がわずかに震えた。長引く冷戦に感覚が麻痺(まひ)した人々が、徐々に彼の反共原則(ドクトリン)から離れつつあった。

 来年の選挙の勝利を確言することができない状況だったが、そんな折に民間機を撃ち落とす事件を起こすとは。

 ここで渾身(こんしん)の力を振り絞ってソ連を糾弾し、東西の対立を最大限にあおれば、再選は決まったも同然だろう。

 「大韓航空の民間機といえば、もしや?」

 席を外して、日本の首相が送ってきた録音内容を何度も繰り返し聞いていたレーガンは、すぐに立ち上がり、額に手を当てたまま執務室をぐるぐると歩き回った。彼はCIA長官に電話をかけた。

 「長官、大韓航空の旅客機失踪事件に関して、知っていることがあればすべて話してくれ」

 「旅客機007便の失踪のことですか? まだ確かな情報は何もありません」

 「我々の工作ではないのだな?」

 「え?」

 「CIAが関与しているわけではないな?」

 「違います」

 「これを聞いてみたまえ」

 レーガンは電話機を通して録音内容を聞かせた。司令室の指示から爆発音まで鮮明に録音された内容に、あらゆる経験を積んできたCIA長官ですらも短いうなり声を漏らした。

 「失踪した007便はソ連の奴らによって撃墜されたんだ。それにしても、どうしてこの旅客機は無謀にもソ連領空に入ったんだ? お前たちが仕組んだ秘密工作でないとすれば、一体なぜ?」

 「CIAではありません」

 「国防総省の工作である可能性はあるか?」

 「大統領の許可なくして可能なことなのかどうかは分かりませんが、国防情報局と一度コンタクトしてみます」

 レーガンはさらに5、6カ所に電話をかけた。彼が問いただした内容はみな、アメリカのいずれかの秘密工作機関が関与したかどうか、ということだった。

 ほどなくして通話をすべて終えた彼は、満足のいく答えが得られたのか、顔に笑みを浮かべたまま、休暇を終えて帰還するという通知をワシントンに送った。

 「日本から送られてきた録音以外には何の情報もまだ得られておりません。何かしらの秘密工作があったのか、パイロットの素性や経歴などを追跡調査している最中ですが、今のところ、可能性は低いものと見られます。機械的な欠陥による飛行ミスでもないと思われまして……」

 翌日、ホワイトハウスで開かれた緊急安全保障会議には、あらゆる情報機関の責任者が参加した。

 彼らは活用可能な情報ルートをすべて動員し、夜を徹して大韓航空007便の領空侵犯の原因を把握しようと努めたが、明快な答えはおろか、それらしい仮説さえ、立てられた者はいなかった。

 会議が遅々として進まない中、突然立ち上がったホワイトハウスの戦略補佐官が、情報機関の責任者たちに向かって尋ねた。

 「本当に我々の工作ではないのですね?」

 「そうだと言っているだろう。何度言ったら分かるのだ」

 繰り返される質問にいらいらした責任者の一人がなじるように言い返したが、補佐官は表情一つ変えることなく、またも尋ねた。

 「それが一番重要なことなのです。アメリカ側の工作ではないという確証をまず得なければなりません」

 「ここにあらゆる機関の責任者がそろっているのに、これ以上、何の確認が必要というのか」

 「我々の秘密工作機関は非常に巨大で、業務領域も多岐にわたっています。もしかしたら内部にも秘密で企図している工作があるかもしれないし、外国機関との複雑な関係に我々の工作員が関与した可能性もあります。ともかくそのような事実がないのかどうか、確実な回答を頂きたいということです」

 「ない」

 「偵察機コブラが常に利用しているルートに民間機が入り込んだのです。マスコミであれ各国の機関であれ、アメリカの国防総省を真っ先に疑うでしょうが、本当に国防総省ではないのですね?」

 「違う」

 「CIAも、本当に違うのですね? マクドナルド議員が搭乗していましたが」

 共和党にとって目の上のたんこぶだった民主党のマクドナルド下院議員が007便に乗っていたという事実は、これから幾度となく主張される陰謀論の根拠になるだろう。

 CIA長官が首を振った。

 「我々でもない。それより、どこであろうと政府の部署がこれほどの規模の事件に関与しようとすれば、まず間違いなく、大統領の許可が必要だ」

 レーガンが手を左右に振った。

 「私にそんなことを議論しに来た者はいなかった。当然、私が許可するはずもないが」

 アメリカ政府が事件に関与していないという事実が明白になると、戦略補佐官はやっと満足げにうなずいた。

 続いて彼は、大統領に目配せをした後、待機していた航法専門家を呼び入れてブリーフィングをさせた。

 「この飛行機は最初の管制地点で交信後、2番目、3番目の管制地点ではいかなる交信もしていません。慣性航法装置で飛べば、自動的に必ず通過するはずの地点を経由しなかったということは、パイロットが手動で飛行したことを意味します」

 パイロット出身である空軍参謀総長が、理解しかねるといった表情で問いただした。

 「手動だと? 旅客機のパイロットが慣性航法装置で飛ばないケースなどあるのか?」

 「そこがおかしな点です。ボーイング747型機における長距離飛行はみな、必ず慣性航法装置で飛ぶようになっています。つまり、アラスカを離陸した後、パイロットがスイッチを入れさえすれば、飛行機は自動で航路に従い、目的地に向かって飛ぶのです」

 「さっきは手動で飛行したと言ったじゃないか」

 「だからおかしいのです。わざわざパイロットが手動飛行をする理由も、慣性航法装置を切ってしまう理由もありません」

 「それなら機械的な欠陥の可能性は?」

 「構造上、機械が航路を間違って選択することはあり得ません。初めから飛べなかったり、突然不審な爆発を起こしたりする確率のほうがむしろ高いくらいです」

 聞けば聞くほど、事件は迷宮へ入り込んだ。

 立てられたいくつかの仮説リストをいくら検討しても、集まった者は首を横に振り、眉間にしわを寄せるばかりだった。

 しかし、戦略補佐官は、会議が進行するにつれて、むしろ満足げな表情を浮かべ、突如、奇妙な声を上げた。

 「そうです、皆さん。機械的な欠陥でもなく、アメリカの工作機関が関与したものでもありません」

 それまで戦略補佐官の態度を、眉をしかめながら見ていた国防長官が尋ねた。

 「さっきから我々を真っ先に疑ったり、おかしなことばかり言っているが、君は一体どういうつもりだね?」

 唇に薄い笑みを浮かべたまま、戦略補佐官が答えた。

 「この事件の性格をよく判断すべきです。ソ連領空に正体不明の飛行機が飛んで行って撃墜されました。すると、このとてつもない悲劇の責任者は誰でしょうか?」

 何を聞くんだと言わんばかりに、国防長官がぴしゃりと言った。

 「ソ連の奴らだろう。何を言ってるのだ」

 「違います。ソ連の責任が半分、そして敵国の領空に飛行機を突っ込ませた者の責任が半分です。それが飛行機の欠陥であろうが、何らかの秘密工作であろうが、パイロットのミスであろうが、関係ありません。いざこの事件が世界に広まれば、人間としての感情を持ち合わせていないような共産主義者よりも、撃墜される原因を提供した者に非難の矢が集中するのは当然のことです」

 「それは……」

 国防長官は言葉を詰まらせた。

 「しかし、幸いにもその原因は不明のままです。ミステリーというわけです。我々の工作でもなく、機体の欠陥でもありません。このまま事件が迷宮入りしてしまえば、残るのは民間機にミサイルをぶち込んだあの悪魔のようなソ連の奴らの言動のみです。これ以上の好材料がどこにあるでしょうか?」

 「何だと? 好材料とは?」

 「全世界にソ連を糾弾させ、共産主義の悪辣さを宣伝するのに、これ以上のチャンスはないということです。原因は表から消え去るべきです。パキスタンのテロリストの犯行だろうと、モンゴルのハイジャック犯による仕業だろうと、なぜ民間機がソ連に突っ込んで行ったかという理由からは、世間の目を逸(そ)らす必要があります。あのソ連が、何の罪もない民間人がたくさん乗った民間機に、いきなりミサイルを撃ち込んだ事実のみを残すべきだということです」

 「ということは、事件を闇に葬ってしまおうというのか? それは情報操作ではないか!」

 「わざわざ真実を明らかにする必要がありますか?」

 憤懣(ふんまん)やる方ない国防長官はさらに声を荒立てようとしたが、その時、黙ってうなずいているだけだったCIA長官が戦略補佐官に代わって口を開いた。

 「補佐官の言うとおりだ。事件の本質が重要なのではない。誰かが責任を取らなければならないのだから、事件が迷宮入りしてしまえば、すべてはソ連の責任になる。今は事故の原因が究明されないほうが、みんなにとって都合がいいだろう」

 これに対し、数名の将軍を除き、ほぼ全員がうなずいた。

 大部分が政治外交と情報操作に長く従事し、その分野に熟達した人物だった。既にこの事件をどのような角度から見つめるべきか、それぞれの観点があり、その見解はほとんど一致していた。

 大多数が同調すると、国防長官はその場の雰囲気に押されて、それ以上の言葉を発することができず、今やすべての視線がレーガンに注がれた。

 口をしっかりと閉ざしたまま、それまでひたすら聞き役に徹していた大統領がゆっくりと口を開いた。

 「サマンサという子どもの話を聞いたことがあるか?」

 大部分がうなずいた。

 「アメリカとソ連が和解することを望むという手紙をモスクワに送った子どもだ。アンドロポフは丁寧に返事を書き、戦争をできるだけ避けると約束をした」

 レーガンは首を横に振った。

 「共産主義との和解だの何だのという、愚にも付かぬ話が大きくなったために、そういった滑稽なでまかせの宣伝まで飛び出してくるんだ。聞きたまえ。戦闘機を送って旅客機を撃墜しろと、あんなに大声で叫ぶ奴らが、和解と平和だと? 我々には責任がある。奴らの蛮行をつまびらかにし、世界に我々アメリカのメッセージを送って、世界が心を一つにして共産主義の波に対抗するように導く責任が!」

 戦略補佐官はボタンを押し、編集された録音を再生させた。

 会議室にはっきりと響き渡る撃墜命令と、オシポーヴィチの豪快な成功報告が何度も流れたが、恐るべきことに、「誘導着陸」という交信文句がそこにはなかった。

 レーガンが再び口を開いた。

 「声明を発表したまえ。あのようなソ連の奴らを相手に、果たしてアメリカはどんなリーダーを持つべきか。我々共和党の『強いアメリカ』を選ぶべきなのか、ふぬけた民主党によるうわべだけの平和を選ぶべきなのか、国民にはっきり理解させるんだ」

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 次回(4月27日)は、「レーガンの勝利」をお届けします。


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