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預言 10
レーガンの勝利

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「小説『預言』」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

10 レーガンの勝利

 「わあ!」

 金浦(キムポ)空港の到着ゲートの人だかりの中から、突然、天を衝(つ)くような歓声が上がった。

 智敏(ジミン)は、ラジオに耳を当てたまま我を忘れて歓声を上げている一人の出迎え客に駆け寄った。

 「一体どうしたんですか?」

 「007便がソ連空軍によってサハリンに着陸させられた。乗客は全員無事だそうです」

 出迎え客の1人がラジオのボリュームを上げると、アナウンサーの興奮した声が流れてきた。

 信頼に足る日本の消息筋は、行方不明になっている大韓航空007便を、ソ連空軍がサハリンに誘導着陸させたと発表しました。

 瞬く間に、空港内のテレビの前に人の群れができた。

 テレビ局のカメラマンたちは出迎え客の口元に広がったほほ笑みと安堵(あんど)のため息、そして嗚咽(おえつ)をカメラに収めるべく忙しく動き回り、その表情がすぐにテレビ画面に映し出された。

 嗚咽に沈んだ死の到着ゲートが、歓呼と笑顔のパラダイスと化す中、智敏はもう一度思い切り大声を上げた。

 「智絢(ジヒョン)! 俺の妹、智絢!」

 智敏の歓呼は、先ほどの絶叫と同じくらい、いや、その絶叫を凌駕(りょうが)してあまりあるほど大きく力強いものだった。

 「父さん、智絢は生きてるよ。みんな、父さんが天から守ってくれたおかげだよ。もう少しだけ待っていれば帰ってくるよ。すぐそこの、あのゲートを通ってね。俺は智絢が帰ってくるまで、ここから絶対に離れない。1日かかろうが、2日かかろうが、1週間かかろうが、1カ月、いや1年かかっても、ここに留(とど)まり、立っているんだ。でもそんなにはかからないだろうな。放送では、乗客はすぐに帰ってくるって言ってたよ」

 歓呼に続いて、智敏は一言一言、自分に言い聞かせるようにはっきりと力を込めて言った。

 もう二度と妹を奪われるものかという信念と意志の表れだったが、時間が経(た)つにつれ、到着ゲートの雰囲気はだんだんとおかしくなっていき、智敏の気持ちもまた、徐々に不吉なものへと変わっていった。

 後続ニュースが全くないのに加え、アメリカ側の様子を伝えるワシントンの特派員が、1人、2人と007便のサハリン着陸報道を否定し始めたのである。

 そしてついに午後7時のニュースで、アメリカのレーガン大統領が、007便が撃墜された事実と、搭乗者269名全員が死亡したことを伝えた。

 大韓航空007便は赤い帝国の戦闘機によって撃墜されました。この野蛮な行為は米韓両国に対する攻撃であるだけでなく、自由と平和を愛する全世界、すべての国家に対する攻撃にほかなりません。私は、残忍で悪辣な形で民間機を撃墜し、乗客を皆殺しにした悪の帝国ソ連に厳重なる警告をする一方で、すべての責任を問うことをここに誓います。

 「このくそったれども!」

 誤報に翻弄された出迎え客の間に再び嗚咽の波が広がった。

 智敏の目は殺気立っていたが、一体誰に向けてこの恨みと怒りをぶつければいいのか分からず、ただひたすら虚空に向かって絶叫するばかりだった。

 ソ連は即刻、007便を撃墜した事実はなく、007便は日本海上へ飛び去ったと発表したが、すぐにでまかせであることが判明した。

 ソ連のこのような声明が出されるや、シュルツ国務長官が待っていたかのように、撃墜時の状況が録音されたテープを公開したのである。

 このテープは編集された上で、ソ連がでまかせを主張した直後に、絶妙なタイミングで発表されたため、ソ連の虚偽と不道徳性を満天下に知らしめることになった。

 「敵機撃墜! 任務完了!」というオシポーヴィチの声は、1週間にわたって全世界のメディアにより流され続け、人々のソ連に対する激しい憤怒は、手の付けようがないほど爆発的に広がっていった。

 レーガンと国務省の意図したとおり、アメリカのほぼすべてのメディアがソ連を露骨に非難し始めた。

 それは「ニューヨーク・タイムズ」のように、共和党に批判的な新聞も決して例外ではなかった。

 「ニューヨーク・タイムズ」は「冷酷な殺人行為」という見出しを付けてソ連を厳しく非難し、「ニューヨーク・ポスト」は「モスクワの血塗られた手」、「オーランド・センティネル」は「ソ連の偏執狂的な行為」、「シカゴ・トリビューン」は「あらかじめ計画された殺人行為」、「ワシントン・タイムズ」は「計画された大量殺人」との見出しで、民間機であることをはっきり知りつつも、ソ連が大韓航空007便を撃墜したと異口同音に報道した。

 さらにテレビカメラは宇宙飛行士まで映し出し、宇宙空間までもソ連を非難する声明発表の場につくり上げた。

 当初007便の撃墜を否認していたソ連は、事件発生から数日後に言葉を変え、007便はアメリカ空軍の偵察任務を代わりに行っていたスパイ機であると主張したが、ソ連の発表を信じる者は誰もいなかった。

 ソ連共産党の書記長であるアンドロポフは、グロムイコ外相の建議を受けて、謝罪することを内々に検討したが、ウスチノフ国防長官がこれを強く引き留めた。

 健康に深刻な問題を抱えていたアンドロポフは、やがて病院に入院し、頭の痛い問題から手を引いてしまった。こうしてレーガンは、全世界に力強い反共の炎を焚(た)きつけることに成功した。

 アメリカはソ連の国営航空会社アエロフロートのアメリカ飛行許可を取り消し、全国的にウオッカの不買運動が起きた。さらに国連本部の前では、ソ連の国旗が焼かれた。

 続いて、ほぼすべての資本主義国家がレーガンの反ソ戦線に加わり、ソ連航空機の飛行許可を認めないことになった。

 ドイツとイタリアでは、パーシングⅡをはじめとする各種ミサイルの配備反対運動が力を失い、アメリカはわずか十数分もあればモスクワを攻撃できる、この恐るべき武器をヨーロッパに配備できるようになった。

 ソ連を糾弾する世界の憤怒は日を追うごとに激しさを増していった。

 全世界に反ソの嵐が吹き荒れ、その先頭に立つレーガン大統領の支持率は急速に上昇した。彼は一瞬にして、自由世界唯一の精神的指導者としての地位を確立した。

 それはみな、大韓航空007便撃墜事件のおかげだった。

 しかし皮肉にも、時間が経つにつれ、事件の真相を把握しようという努力は消え去る一方だった。

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 次回(5月4日)は、「憤怒」をお届けします。


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