日本人のこころ 37
福岡県─五木寛之(2)『青春の門』『親鸞』

(APTF『真の家庭』258号[2020年4月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

『青春の門』
 87歳になった五木寛之さんが昨年、自伝的な大河小説『青春の門』(講談社)の続編『新 青春の門 第九部 漂流篇』を四半世紀ぶりに出しました。

 舞台はシベリアで、東京の大学でボクシングに熱中していた伊吹信介は、ある目的のため旅券なしでソ連に密航。しかし、足の骨折でシベリア横断を断念し、謎の日本人医師ドクトルに助けられ、療養しながら、彼の恋人にロシア語を叩き込まれることになります。九州出身のドクトルは信介に、シベリア出兵から満州事変の裏面史を教えますが、ドクトルにはKGBの不気味な影が接近してきます。

 信介の幼馴染の牧織江は牧オリエとして歌手デビューしていました。新たに登場する人物は、銀行員の家に生まれながら、芸能プロダクションに就職し、オリエの担当マネージャーになった山岸守で、彼の目の前でレコード業界の再編劇が展開されます。狙いはアメリカナイズされた日本の歌謡界を本来の姿に戻すこと。陰のスポンサーは福岡の財界で、満州帝国の隠し財産で戦後、台頭していました。頭山満の玄洋社の流れをくむアジア主義者の人脈が、東京を動かそうとしていたのです。

 ドクトルが信介に教えたのは、第一次大戦の連合国軍の中で、7万もの軍隊をシベリアに送り込んだ日本の真の理由。それは、ロシア革命で倒されたロマノフ王朝の隠し財産の収奪で、それにシベリア独立を目指すロシアの将校と関東軍が絡みます。

 早稲田大学露文学科に入り、中退後は音楽業界で文才を発揮するようになった五木さんの経験が反映され、事実とフィクションで魅力的なストーリーが展開します。信介とオリエの成長史で、戦後日本の青春史でもあります。

▲五木寛之・著『新 青春の門 第九部 漂流篇』(講談社)

『親鸞 激動篇』『親鸞 完結篇』
 1981年から執筆活動を一時休止し、龍谷大学で仏教史を学んだ五木さんのライフワークが親鸞。2010年に『親鸞』(講談社)を出し、以後、激動篇、完結篇と続きます。

 激動篇では、35歳で越後に流された親鸞が、5年後に赦免され、その3年後に常陸国(ひたちのくに)へ移り、61歳で帰京するまでの約20年間が描かれています。この間、親鸞は主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』をほぼ完成させ、師法然の教えを、自身の教えへと一歩先に進めています。

 越後で親鸞は、成り行きから雨乞いの大法会を引き受けます。念仏は御利益ではないとする信念と矛盾するのですが、旱魃(かんばつ)に苦しむ民への「捨身」の思いからです。背景にある、古代からの国司、土地の豪族である地頭、新たに鎌倉幕府から派遣された守護と有力寺社の利権をめぐる争いが、時代絵巻のように語られます。

 その後、親鸞は常陸(茨城県)にいる兄弟子の招きで、妻子と共に関東に向かいます。当時、政治の中心は鎌倉で、関東は豊かな穀倉地帯として開けていました。ここで親鸞は念仏宗に引かれる領主たちに保護されて布教し、稲田神社にあった経典で学び直し、教えを深めていきます。多くの仏の中から阿弥陀如来だけを選び、信心する生き方が、主君に奉公する武士に合っていたことから、念仏宗は武士にも浸透するようになります。

 もっとも、説法の場に集まってきた様々な職業の人たちを喜ばせたのは、親鸞の歌・今様でした。釈迦の教えは死後、言葉ではなく歌として伝わり、中国を経て比叡山にも声明(しょうみょう)の伝統があります。

 心の闇を抱えながら育った親鸞が、比叡山を下り、法然に出会って初めて見た光について、親鸞は語るべき言葉を探していました。法然は念仏による浄土往生を説きましたが、親鸞がたどり着いたのは、念仏する者はその時往生し、念仏しない者も死後に往生する、という教えです。御利益や習俗の宗教から、自らの内面を見つめる宗教へと転換させたのが親鸞の近代性で、明治になってそれが再発見されます。

 『親鸞 完結篇』は、親鸞が61歳で京に戻り、90歳で没するまでです。あとがきには「あくまでも俗世間に流布する作り話のたぐいにすぎない」とあり、「私が意図したのは、時代の群像の中に親鸞を描くことだった」(中日新聞)とも言っています。

 親鸞が帰京したのは『教行信証』を完成させるためです。比叡山で親鸞と共に学びながら敵対するようになった覚連坊は、天台座主(ざす)・慈円(じえん)の意向を受け、専修念仏(せんじゅねんぶつ)を潰そうと暗躍します。背景には、貨幣経済が躍動し始めた鎌倉時代中期の経済社会があります。

 一方、親鸞は長男・善鸞との間に深刻な対立を抱えていました。私的な思いを消していくのが念仏ですが、善鸞は唱導で新たな境地を開きたいと考えたのです。そして、親鸞が去り信仰が混乱しだした関東に招かれ、夫の成功を願う妻と、父よりは素直に育ち、祖父を尊敬する息子の如信も同行します。

 親鸞の懸念は、善鸞が「父から伝授された秘密の教えがある」と言い始めたことで的中し、親鸞は善鸞を義絶します。如信は父を理解しつつ別れ、祖父に従います。如信は五木さんの投影とも読めます。京では、専修念仏を支持する商人らが嵯峨野に巨大寺院の建立を始め、それを阻止しようとする覚連坊との間で壮絶な争いが展開されます。

 教祖、開祖、宗祖の教えを踏まえながら、時代や社会に合わせて変化・発展してきたのが宗教の歴史です。それは個人においても同じで、自分なりの信仰を求める柔軟性と主体性がないと、化石になってしまう恐れがあります。