日本人のこころ 38
高松・下関―『平家物語』

(APTF『真の家庭』259号[2020年5月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

漂う無常観
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」で始まる『平家物語』は、平家の栄華と源平の戦いによる没落を描いた軍記物語で、鎌倉時代に成立したとされます。原形とされる三巻本は現存しておらず、吉田兼好の『徒然草』では、信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)が作者で、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に語らせたとあります。

 琵琶法師によって語られた『平家物語』は、仏教の無常観に基づいて書かれたものとされますが、神道的な思想も濃厚に含まれ、日本人の心の源流に根付いた作品と言えます。また、権威と権力の対比が描かれていて、日本人は皇室をはじめ権威には抵抗なく従うが、権力には一定のレベルを超えると非常な嫌悪感を示すバランス感覚があります。同時に、滅びていく者の美しさ、空しさが描かれ、勢いが衰え、末期に向かって転げ落ちるときに、その人自身の生きざまが出ることも描かれています。

 物語の前段は、平家一族が栄華を極めていく過程で、頂点は、平清盛が宮中に仕えて以降、清盛が亡くなるまでです。後段は、平家が没落していくさまで、その中に日本人の感性が描かれています。

 興味深いのは、日本人の私と公についての感、覚悟で、純粋な行為に対しては感動し、敵味方にかかわらず相手を尊ぶ感覚があります。それは仏教以前の日本人の信仰的な土台で、生き方の感性や自然観、死生観に裏打ちされた神道的な心性です。

 『平家物語』が日本人に広く受け入れられたのには、物語に漂う無常感が大きく影響しています。その無常観は仏教以前のもので、四季の移り変わりや恵みもあれば災害もある自然環境によるものと思われます。自然は動かないようで、木は日々成長し、山は姿を変え、微細な部分が常に変化しています。それを肌で感じながら暮らしてきた日本人の感性が、仏教の無常感にシンパシーを感じたのでしょう。

 物語は冒頭から非常に流麗で美しい和漢混交文で語られ、聞く人の耳に入りやすく、それを琵琶法師が各地で伝播していったのです。言葉の意味や音が、物語の面白さに非常に強く影響しているという意味では、言霊(ことだま)信仰や口承文学が原点にあります。

▲平家物語図屏風(ウィキペディアより)

「祇園精舎」
 巻第一の「祇園精舎」を読みますと、「鐘の音」とは仏法のことで、どんなに誇り盛んな者でもやがては衰えると、仏教の「無常」を語ります。娑羅双樹の花には、釈迦が入滅した時、すべて白くなったという逸話があります。

 「遠く異朝をとぶらふに」で中国古代の王朝に話を転じ、内外の対比をしています。秦の趙高は秦代の宦官で、始皇帝に仕えたが、始皇の死後は丞相の李斯(りし)を殺害し、権勢をほしいままにしました。漢の王莽(おうもう)は前漢の平帝を殺害して王位に就き、国号を「新」としたが、15年ほどで後漢の光武帝に滅ぼされます。唐の禄山は安禄山(あんろくざん)のことで、唐の玄宗に反乱し、大燕皇帝に即位しますが、最後は次男の安慶緒に殺害されました。

 島国の日本は外国との比較を好みます。『古事記』は日本人が日本人のために書いた歴史の記録ですが、『日本書紀』は外国人に見せるために書いた正史です。常に大陸を念頭においていた日本人の世界観は広く、仏教の渡来によってさらに広がります。中国の歴史を引用しているのは、人々の間にそうした教養があったからです。

 話は日本に戻り、「承平の将門(まさかど)」とは平将門のことで、父であった鎮守府将軍・平良将(よしまさ)の遺領問題で935年に伯父・国香(くにか)を殺し、939年に反乱を起こして常陸・下野・上野の国府を攻略。「新皇」と称し下総(現在の茨城県付近)の猿島(さしま)を内裏としますが、翌年、平貞盛・藤原秀郷(ひでさと)に討たれました。

 「天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)」は藤原純友のことで、平安中期の貴族で伊予掾(いよのじょう)として赴任しましたが、任期終了後も帰京せず、瀬戸内海の海賊の頭領となり日振島(ひぶりしま)を拠点に将門の乱に呼応して乱を起こしました。朝廷は小野好古(よしふる)を追捕使とし、源経基(つねもと)に命じて平定しました。

 こうした国内の例から、貴族が武士を抑えられなくなってきた時代の転換期を予兆させています。平家が桓武天皇に始まる古い家柄であるのはいかにも日本的で、家の縁、地の縁、時の縁が重複しています。

 先に挙げた人たちは栄枯盛衰がすさまじかったが、平清盛の生き様は筆舌に尽くしがたいとして清盛の先祖を説明します。桓武天皇の第五皇子に始まる古い家系で、清盛の父・忠盛(ただもり)は受領(ずりょう)でしたが、殿上人(てんじょうびと)ではなく宮中に昇殿できない下位の武官でした。

 さむらい=候(さぶろう)者として下層の位置から一族郎党を率いて権力を獲得した平家は、初めは喝采されますが、やがて権力におごり、権威に同化していくようになると、新興勢力に追い落とされます。おごり高ぶりに対して、増長し、驕慢になっていると身を滅ぼす、「春の夜の夢のごとし」と警鐘を鳴らすのです。

 こうした物語文学を聞き、語ることで、日本人は自分自身の人生観をつくってきました。登場人物に自身を重ね、生き方を見直し、見通してきたのです。それは、自分という物語を生きるのが人間であり、意志と努力によって書き換えることもできるからです。

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