日本人のこころ 33
京都─ドストエフスキーの警告

(APTF『真の家庭』254号[2019年12月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

勝田吉太郎
 勝田吉太郎京都大学名誉教授が去る722日、91歳で死去し、偲ぶ会が91日、京都大百周年時計台記念館で開かれたので、私も参列しました。

 発起人の木村雅昭京大名誉教授は「勝田先生は近代ロシア政治思想史から研究を始め、卓越した語学力と強靭な思考力で業績を挙げ、多くの若手研究者を育てた。一方、論壇でも活躍し、冷戦時代に民主主義と自由を守るため論陣を張り、日本の政治動向に大きな影響を及ぼした」と功績を紹介しました。

 小野紀明京大名誉教授は勝田先生の学問について、「政治思想史のゼミでドストエフスキーを読んだのは衝撃的な体験で、これほどドストエフスキーを面白く語る人は初めてだった。勝田先生の学問の背骨になったのはベルジャエフで、講座名を政治学史から政治思想史に改めたのは、学史に付きまとう東大臭が嫌いだったから。政治の根底にある情念(パトス)に注目し、近代国家を形成した社会契約論やリベラル・デモクラシーを、ロゴス偏重だと批判していた。勝田論文の魅力は論理の完璧さと、根底にある情念の重視にある」と語りました。

 学園紛争で東大入試が中止になったころ、私が仲間と京都で開いていた市民講座の講師に招いたのが勝田先生との交流の始まり。学生時代、熱に浮かされたようにドストエフスキーを読んだ先生は夫人に、半ば冗談、半ば真剣に「死んだら棺桶に『カラマーゾフの兄弟』を入れてくれ」と言ったそうです。

 勝田先生が政治・社会評論をするようになったのは1970年代で、自民党の一党支配体制がほころび、各地に革新首長が誕生し、共産党の唱える民主連合政権が現実味を帯びてきていました。そんな時代に、勝田先生は深い視点から、神なき民主主義、ヒューマニズムの欺瞞を指摘し、人として国としての在り方を根本から問いかけたのです。それはまさにドストエフスキーの警告でした。

 日本の知識人に大きな影響を与えたドストエフスキーの思想を決定づけたのは、シベリア流刑の体験です。多くの囚人たちから、民衆の心のありようを学び、そこから、民衆と離れたロシア・インテリゲンチャを痛烈に批判したのです。革命によって生まれたソ連は、まさしく独裁的なツァーリズムの裏返しで、資本主義以上の階層社会を築きました。そんな国に無邪気に憧れる楽天的な日本の左翼を、勝田先生は論断したのです。

 70年代後半には元号法制化が議論になり、1979年に元号法が成立しました。左翼勢力は当然ながら反対で、それに対して勝田先生は、日本という国や民主主義の在り方や天皇の存在から元号の必要性を説いていました。

 例えば、「国家には実務的な要素のほかに威厳的な要素がなければならず、天皇制は目に見えないところで国家の威厳的な部分を表現していて、日本国民の大多数は、無意識のうちにしろ、そのように考えている」と述べています。エリザベス女王を君主とするイギリス風に言えば、「王冠を頂いた民主主義」(crowned democracy)なのです。

 さらに、「人格の尊厳を真に支えるものは、万人のうちにひそむべき仏性とか神の似姿とかいった形而上的ないし宗教的理念でなければならない。…真の宗教信仰があってはじめて、人間は尊重されるに値するものとなるのであろう」とも言っています。

 また、エドマンド・バークを引きながら、真の民主主義は生きている者のためだけでなく、亡くなった人、これから生まれる人たちのためでもなければならないとしたのです。御代替わりの本年、日本を支える国民精神の象徴が天皇だと改めて考えさせられました。

▲ドストエフスキー(ウィキペディアより)

梅原 猛
 勝田先生に呼応するかのように、ドストエフスキーを取り上げながら目指すべき社会について論じていたのが、1972年の『隠された十字架─法隆寺論』(新潮社)で話題になった梅原猛国際日本文化研究センター名誉教授で、今年112日に93歳で亡くなりました。同書は、法隆寺を聖徳太子一族の霊を封じ込め鎮めるための寺院だとする、いわゆる怨霊史観に基づく本です。勝田先生と同じように市民講座の講師で、北白川のご自宅を訪ね、奥様に桜茶を入れていただいたのを懐かしく思い出します。

 梅原先生は西洋哲学の研究から学者人生を始めながら、西洋哲学に深く根付いている人間中心主義、進歩主義に限界を感じ、日本仏教を中心に日本人の精神性を研究する方向に転じた異色の哲学者です。学園紛争時代、共産党系の民青が支配する立命館大学の教授でありながら、共産主義を堂々と批判していました。その大きな根拠になったのがドストエフスキーです。先生は、ドストエフスキーは近代の預言者だと言っていました。

 その代表作『カラマーゾフの兄弟』を次のように分析していました。カラマーゾフ家の3人兄弟、長男ドミートリイ、次男イワン、三男アリョーシャ(アレクセイ)にドストエフスキーは、それぞれ資本主義、共産主義、そして未来の社会を象徴させたというのです。

 ドミートリイは父フョードル以上に強欲で、イワンは懐疑主義者。イワンの「神がいないとすれば人は何をしても許される」との示唆で、異母兄弟のスメルジャコフは憎いフョードルを殺してしまいます。ドストエフスキーは、神なき民主主義の典型である共産主義が、最終的には冷たい独裁国家をもたらすことを預言したのです。

 そのドストエフスキーが救いを求めるように描いたのがアリョーシャで、彼の素朴な信仰心は東洋的、仏教的な思想を反映していたと語っていました。