夫婦愛を育む 146
愛を追い求めると愛が逃げていく

ナビゲーター:橘 幸世

 クリスマス前のある日、「先生、私のクリスマスはシングルベル」と女子生徒が言ってきました。「ジングルベル」にひっかけて、自分は「シングル」、独りぼっちだと言っているのです。
 「親は仕事だし、お兄ちゃんは部活。クリスマスは私一人なの」。別の日には、「私、ぼっちクリスマス」と他の人に訴えています。

 彼女は、これでもか、というほどに「寂しさオーラ」を発していて、話を聞いてくれそうな人には誰にでも話し掛けます。
 長年塾の正規スタッフとして勤めている女の先生も、ここまで自分の感情をさらけ出して人恋しそうにしている生徒は初めてだ、と言っていました。
 「今は塾という居場所があるけれど、将来寂しさから変な人に引っかからないといいけど…」と、二人して心配しています。

 青少年が道を誤るときの、言い換えれば、良心のブレーキが効きづらくなるときの主要因は「寂しさ」だと一般的に言われています(統一原理では、愛の減少感から道を外れたと説いていますね)。

 もう一つ彼女のことで気になるのが、自分の本音をなかなか言えない子が多い昨今、彼女のようなタイプは同級生の間で浮いてしまうのではないか、ということです。
 大人ですら受け止めるのにそれなりの姿勢を要するのですから、同年代では引いてしまう子が多いのではないかと心配しています。

 でも、「感情をだだ漏れさせているといろいろうまくいかないこともあるよ」とは、今の彼女には言えません。自分の感情を持て余していて処理しきれないでいるので、もう少し待つ必要があると思うからです。

 「愛して、愛して」という波動で来られると、相手は逆に愛しづらくなってしまうこと、自分の幸せは自分で、ということをいずれ学んでくれたらと願いつつ、今はひたすら受け止めています。

 夫婦間においても、愛されることを求め過ぎると、相手の行動で一喜一憂します。そしていつの間にか、自分の幸せを相手に依存するようになってしまいます。そこに平安はありません。相手をコントロールすることはできませんので。
 一方、相手は無言の要求を感じ、やがて疲れ、こちらも平安を得られません。

 また、愛されているかどうかばかりに気を取られていると、“自分がイメージする愛され方”という色眼鏡で見てしまいがちなので、逆に愛に気付きづらくなります(学びを通して色眼鏡を外せた人たちが、自分はこんなに愛されていたんだ、と悟り、世界が全く違って見えるようになった姿を目にした時は、心の底から喜びました)。

 自分という存在そのものが、今のままで愛され生かされていることを受け止めて、心穏やかに、愛することに焦点を当てていくことが、やはり幸せへの道かと思います。


◆Blessed Lifeで連載中の「夫婦愛を育む」が待望の書籍化! 本のタイトルは『いちばん大切な人と仲良くなれました』
 ご覧になりたいかたはコチラ