夫婦愛を育む 145
予期せぬ時に予期せぬ形で

ナビゲーター:橘 幸世

 ショッピングモールの駐車場に車を停めると、隣に停まっている車の持ち主が買い物を終えて戻って来るところでした。
 70代くらいのご夫婦です。私が車を降りると、男性のかたから突然声を掛けられました。

 「後の左のタイヤ、空気が減ってるよ」

 思わぬ事態に私は、「えっ、そうですか! ありがとうございます」と言ってタイヤを確認。確かにへこんでいます。

 教えてくれたご夫婦は去り、とりあえず私は買い物へ。
 でも、初めてのパンクに、どうしていいか分からずドキドキです。商品を探すにも落ち着かず、主人には電話で聞けない時間帯でしたので、なじみの車屋さんに電話を掛けました。

 「ペシャンコになっていなければ走れるよ。ただし、どんどん空気が抜けるから、早く帰った方がいい」と教えてもらい、買い物を諦めて即帰宅しました。途中、止まってしまったらどうしようと、こわごわの運転です。

 幸い何事もなく帰れて安堵した一方、私の思考は長年の癖で、「どうしてこんな事が起きたのだろう? 何か(原理原則に)引っかかったかな?」となります。「もしかして~がいけなかった?」とか…。

 でも、よくよく考えてみると、隣に停まっていた車の持ち主が絶妙のタイミングで来たことに気付きました。
 タイミングがズレていたら、パンクに気付いたとしても、私に知らせることはできなかったでしょうし、私は知らないままに買い物に時間をかけ、帰宅時にトラブルが発生したかもしれません。仮に帰宅できたとしても、ペシャンコになって運転中にガタガタするまで気付かないこと間違いなしです。

 そう考えたら、なんと守られていたのか、と感謝の気持ちが湧いてきました。
 「神様、ありがとう~!」です。

 おまけに、ガソリンスタンドに寄って見てもらえば済むものを(そう言われました)、通り道にはないので、まずは帰宅してなじみの車屋さんに再度電話。翌朝見に来ると言っていましたが、結局その日の夕方のうちに、片道20分くらいかかるわが家へ2度往復して処置してくれました。
 「すみませ~ん! ありがとうございます~!」と、大恐縮です。

 いろいろあるけれど、やっぱり「おかげさま」で生きている、生かされている自分だと再認識した出来事でした。

 コロナで始まりコロナで暮れようとしている1年、大変な事の方が多かった人が大半かと思います。
 一人で過ごす、不安な時間もたくさんあったでしょう。そんな時なればこそ、神様を求め、神様とつながっている自分を再確認する時かもしれません。

 祈り求めて答えがないように感じられる時もありますね。でも、神様が手を差し伸べる時って、こちらが手を欲している時とタイミングがズレることが私の経験ではよくあります(もちろん、後で振り返れば絶妙のタイミングです)。ちゃんとケアしてくださっていますし、歩けない時は背負ってくださっているかもしれませんよ、…こちらが気付かないだけで。
 あの有名な、人生の足跡の説教にあるように。


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