私の心の中にいる神様 49
万物の答えは「どちらでもいいよ」

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

万物の答えは「どちらでもいいよ」

 3人の子供(小学生と幼児)がいます。それぞれ食べ物の好き嫌いがあり、嫌いな物をいかに食べてもらうか、押したり引いたり、毎日が駆け引きです。
 そこには私の中に、「神様が準備してくださったものを残してはいけない」「好き嫌いをしてはいけない」「栄養のバランス上もそのほうがいい」という思いがあるからです。

 ところが、「自己牧会プログラム」を学ぶうちに、それらは自分自身の勝手な思い込み、囚(とら)われではないかと気付きました。
 そこで、「固定観念に気付く」ワークや「自己中心の囚われを脱ぐ」ワークをしながら、一つ一つ、囚われを手放していくようにしました。

 ある日のこと、長女は肉を、長男はホウレンソウを残していました。
 それを見ていたら、ふと、「食べ物はどう思っているのかな?」という思いになり、肉とホウレンソウに「食べてもらえなくて、どう思う?」と尋ねてみました。

 私はてっきり、「悲しい」という答えだろうと思っていたのですが、「食べても食べなくても、どちらでもいいよ」という返事が心に来たのです。とても衝撃を受けました。

 「これを子供に伝えたらどうなるかな?」と心配もありましたが、万物の人間を信じて全てを委ねている姿勢に感動を感じて、そのまま子供に伝えました。
 「お肉とホウレンソウはあなたたちに任せるって言ってたけど、どうする? あなたたちも聞いてみたらどうかな」と言ってみました。
 すると長女はへへっと笑って肉を食べました。

 一方、長男は、ホウレンソウを見ながら「それを食べたら、僕は死んでしまう」くらいの表情をしていました。

 私は、「ホウレンソウに聞いてみて」と言い残して、「食べても食べなくても大丈夫」と自分に言い聞かせながら席を外しました。

 しばらくして戻ってみると、何と長男はホウレンソウを食べていたのです。
 私が「食べたの?」と聞くと、ふふーんと澄ました顔をしていました。

 だからといって何でも食べるようになったわけでもなく、好き嫌いの押し問答はまだ続いていますが、子供たちも自分で万物とやりとりをするようになったようです。

 先日、豆のサラダを出したら、長男は食べませんでした。私が「豆に聞いてみたら」と言うと、一粒だけ食べました。「大豆を見ていたら、お母さんの笑っている顔が見えたんだ」ということでした。
 小さくもうれしい体験でした。

(女性 40代)

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 次回(1月2日)は「奇跡は割とよく起きる」をお届けします


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