2020.12.05 22:00
【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!
第18回 どのように悔い改めたらよいでしょうか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回の質問は、「悔い改めが必要と言われても、心からの悔い改めができません。どのようにしたらよいでしょうか?」という質問です。
目の前の出来事や人との出会いは、どんな内容であっても、神様が与えてくださった、あるいは、与えざるを得なかった出来事であり、出会いです。
原理では「相対基準」と表現しているように、自分の内面が映し出されているようなものであると言えます。
遭遇した出来事や出会った人を通して、自分の課題や問題まで知ることができる場合があります。
「誰が問題か?」「何が問題か?」と自分以外を客観的に分析するよりも、自己の内面を見つめて悔い改めることは、自己成長のために大切なことです。
何かの出来事が起こったとき、「自分の何が問題だったのか?」「自分のどこを改めるべきなのか?」「今後どうすべきなのか?」などを考えて自己改善することは、成長・発展する人に共通した姿勢です。
それとは反対に、「自分は常に正しい」という考え方を持って悔い改める習慣のない人は、いつしか純粋さを失って、傲慢な人になります。
ところで、悔い改めることは、「自分の足りなさや過ちを責めること」ではありません。自分を責め続けたら自尊心もボロボロになり、愛する力まで失うことでしょう。
悔い改めに対し、それは自己を責めるものであると捉えている人は、悔い改めに対する抵抗感があり、悔い改めようとしません。
しかし本来の悔い改めは、悔い改めた分だけ復活して、やがて力がどんどん湧き出てくるようになるものです。
悔い改めの本質は自分を責めることではなく、神に悔い改めの心をささげて、神の事情や心情に近づくことになるからです。
信仰生活における真の悔い改めとは、自分で反省することではなく、また組織の責任者に対する謝罪でもありません。
その事柄に関わる相手へのお詫びでもなく、本質的には「神」に対して悔い改めることなのです。
神の愛に対して応えることができなかったことへの悔い改めであり、また神の愛を尊く受け止められなかったことへの悔い改めでもあり、そして神の期待に応えられなかったことに対する悔い改めなのです。
このように、信仰生活で大切な基本姿勢の一つが神に対する「悔い改め」です。
さらには、神を中心として「感謝すること」「悔い改めること」「愛すること」を繰り返す生活です。
神の愛に対して感謝をささげ、神の愛に対して悔い改めた心をささげ、神の愛に対して孝情をささげる生活です。
まずは祈りから始めてみましょう。
祈りの内容も、「神様、ありがとうございます、感謝いたします!」という感謝の祈りであり、「神様、申し訳ありません、許してください!」という悔い改めの祈りであり、「神様、愛しています、為に生きます!」という愛の祈りです。
しかし悩みや不満を感じると、「お願いとご利益の祈り」になりがちです。
全ては必要であるが故に与えられたものですから、そのようなときこそ、むしろ感謝する祈りをささげるように努力していきましょう。
それがまさに信仰の土台となっていくものです。
また、誰かが問題、何かが問題と考えると、「周りの人と環境を変えようとする要求の祈り」になりがちですが、自己の課題と問題を見つめ直してみるなど、自ら悔い改める姿勢を持つことが大切です。
一方で、心配と不安が多いと、「神に対する確信が薄れて形式的な祈り」になりがちです。
そのようなときには愛と精誠をささげようとする孝情の祈りが必要です。
このように、悔い改めの心は神にささげるものであると再認識していくようにしましょう。
皆さんからの質問をお待ちしています。
また、お会いしましょう!