2020.11.28 22:00
【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!
第17回 信仰生活の試練をどのように乗り越えたらよいですか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回の質問は、「信仰生活の試練をどのように乗り越えたらよいですか?」という質問です。
人生は、常に順風満帆というわけではなく、順境と逆境とが繰り返されるものです。
信仰生活における「試練」について、『原理講論』では次のように説明されています。
「神が人間に恩賜を賜ろうとするときには、その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるのである」(『原理講論』p.402)
「試練があるかもしれません」ではなく、「試練が必ず行われる」と表現されています。
そうであれば、私たちは試練を避けようとするのではなく、むしろそれを受け入れて、乗り越えるための心構えが必要です。
試練を乗り越えれば、神の恵みを受けることになり、乗り越えられなければ人生の挫折となる分かれ道、分岐点です。
誰もが試練に直面すると、「愛の減少感」を感じる境地に追い込まれます。
その時に、堕落したアダムとエバのように「自己中心」の心に陥り、「過分なる欲望」を持ってしまいやすい傾向があります。
しかし、常に「神中心」の心を持ち、どんな状況に置かれたとしても「神のみ意(こころ)を尋ね求める」という姿勢が必要です。
自分の立場から見れば、なかった方がよいと思われる出来事でも、神の摂理や神の目から見れば必要なことであり、不可避的な出来事であるからです。
人生の中で直面する試練を大別すると次の三つになります。
第一の試練は、困難・苦難に直面したときです。
その時は、悲観したり、落胆したり、諦めたりしやすくなります。
また、不平不満の思いになり、誰かのせい、何かのせいにしたくなるものです。
しかし、このような時ほど「甘受する心」「感謝する心」を持って受け入れていくことが大切です。
第二の試練は、成功・恩恵にあずかったときです。
成功と恩恵は幸せや喜びを実感する瞬間ですが、気を付けなければならないのは、自分が試される瞬間でもあるということです。
なぜかというと、そのようなときほど傲慢になり、自慢ばかりして、周りの人を見下して怨讐となる可能性があるからです。
また、有頂天になり、油断して怠惰な生活になることもあります。
このような時ほど、「謙虚な心」「向上心」を持ってさらに努力する姿勢が必要なのです。
第三の試練は、精誠・努力が実らなかったときです。
人は誰でも努力すればするほど、それが実ることを期待するものです。神に精誠の条件をささげれば、願いが成就することを期待しがちです。人に尽くせば相手から感謝やお礼の言葉が返ってくることを期待するものです。
教会活動を熱心に行い、多くの貢献をすれば、教会から認められるべきだろうと考えます。無意識に努力への見返りを要求する心が湧いてくるのです。
ところが、現実は何も変わらないときや、周りから感謝の言葉もない、扱いが粗末にされるなど、期待外れの場合には、寂しくなり、怒りの思い、裁きの思いが湧いてくることがあります。
このような時ほど、「無私の心」「不変の心」を持って、さらに精誠を尽くす姿勢が必要です。
これらの三つの試練の時こそ、自己中心の思いで受け止めることなく、神と同じ立場から見つめ、神の心情を尋ね求めながら乗り越えていきましょう。
そうすれば、いつか必ず神の恩賜を賜ることができます。
皆さんからの質問をお待ちしています。
また、お会いしましょう!