(『祝福家庭』68号)
【第1祝福】「個性完成」

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 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「感謝」に関するみ言(4)

 神様は、私を救う立場にいらっしゃるので、私よりもっとかわいそうなお方です。私よりも神様がもっとかわいそうな立場にいらっしゃるのです。子女が父母の前で死んでいくとすれば、当然子女もかわいそうですが、その子女を見つめる父母はもっとかわいそうです。もし子女が、死んでいく場でも、父母を慰労し、父母に無限の感謝を捧げて孝を尽くしたとすれば、父母の悲しみ、父母の苦痛、父母の悲惨さを埋めることができるのです。

 それと同じように、神様と私を中心として見てみるときも、私よりもっとかわいそうなお方が神様ではないでしょうか。いつ神様が私に感謝できる日があるのでしょうか。神様が私に感謝できる日をもてなければ、私たちがいくら神様に感謝を捧げたとしても、それは私だけで終わる感謝であって、神様と一つの目的を中心とする感謝として実を結ぶことができるものではありません。

 それでは、私よりも神様が感謝できるところは、どのようなところでしょうか。それは孝行するところしかありません。では、その孝行するとは、どういうことでしょうか。父母が悲しむことに対して、子女が先に悲しむということです。そのときに父母は、その子女を無限の希望の実体、自分のすべての命に代わる価値の存在として立てたいと思うのです。そのように思いながら、父母は子女に感謝します。環境が困難であれば困難であるほど、父母は、それ以上の感謝の念を感じるのです。
 (『文鮮明先生御言選集』第29巻338頁 1970.3.14)