2020.10.01 17:00
歴史と世界の中の日本人
第10回 杉原千畝
人道博愛の精神で生きた日本人外交官
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
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「日本のシンドラー」と称される杉原千畝(すぎはら・ちうね/1900~1986)は、第二次世界大戦直前の1940年、リトアニアのカウナスで、日本の通過ビザを発給することによって六千人のユダヤ人をナチスの大虐殺から救った日本の外交官である。
今でこそ、彼の偉業は世界に知られるところとなったが、日本でさえ長い間知られるものではなかった。
杉原によるビザの発給が外務省の「訓令」に違反して行われたこともその一因であろう。
杉原は1947年に帰国するが、その6月、外務省を免官されている。
杉原千畝の歴史的功績は、イスラエル大使館に参事官として赴任してきたニシュリというユダヤ人との出会いによって世に知られるようになる。
ニシュリは杉原がカウナスで最初に事情を聴いた、五人のユダヤ人代表の一人だった。
二人の再会は1968年のことで、ニシュリはぼろぼろになった当時のビザを大切に保管していた。
二人は手を固く握り合い、再会の涙を流したという。
この出会いによって杉原の功績を称える活動が海外で盛んになる。
1985年1月18日には、東京のイスラエル大使館で、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」が杉原に授与された。
『六千人のビザ』を著わした妻の杉原幸子さんは、同書でこう回想している。
「…もう少しユダヤ人がカウナスに来るのが遅れていれば、日本領事館は閉鎖されて、奇跡は起こらなかったでしょう。カウナスでのあの一カ月は、状況と場所と夫という人間が一点に重なり合った幸運な焦点でした。私たちはこういうことをするために、神に遣わされたのではないかと思ったのです」
杉原もその家族もキリスト教徒であった。家族皆が人道を重んじる価値観を共有していた。
外務省から拒否されながらもビザを発給するに至った背後には、妻と5歳の長男の「助けてあげてほしい」という強い訴えがあった。
「真の国益は人道博愛精神が第一」と決断し、ビザを発給した杉原千畝の魂からの行為は、現代に生きるわれわれにこそ必要な世界人の生き方である。
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次回(10月8日)は、「真の国際人として生きた『最後のサムライ』」をお届けします。