2020.09.12 22:00
【テキスト版】
ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!
第6回 嫉妬深い性格をどのようにしたら変えることができますか?
ナビゲーター:阿部美樹
皆さん、こんにちは!
今回の質問は、「嫉妬深い性格をどのようにしたら変えることができますか?」という質問です。
「嫌な性格を変えたいけれども、なかなか変わらない」という悩みは多く聞きます。
「頭で理解する」ことはできていたとしても、「気持ちを転換する」ことや「感情を変える」ことは、そう簡単にはできないものです。
ところで、「嫌な感情」とはどんな感情でしょうか。
例えば、今回の質問のように「嫉妬深い」という性格など、本人が「不快」を感じたり、「不安」「恐れ」「悲しみ」「落胆」などを感じるたりする感情のことでしょう。
これらの感情を持ち続けるとしたら幸せとは言えません。しかしこのような感情は、決して「悪」でもありませんし、「堕落性本性」でもありません。
「喜び」「安心」「愉快」「楽しい」という感情を「情の陽的な面」と言えば、「不快」「不安」「恐れ」などの感情は「情の陰的な面」です。
光が当たると、明るい日差しを受ける陽的な部分もあれば、暗い影となる陰的な部分もあるように、これらの情は「陽陰」の関係であり、どちらも神が創造された感情です。
例えば、暗闇の夜道を歩けば「不安」になります。「不安」になるからこそ、転ばないように気を付けたり、明るい安全な道を探そうとします。危険な崖に近づけば「恐れ」を感じます。その「恐れ」の気持ちが起こるからこそ、道を踏み外さないように慎重になって歩くことで安全を維持することができます。
家族の病気や事故に直面すれば、「悲しみ」を感じます。そのような心が湧いてくるからこそ、周りの人々に対しても病気の治癒や健康の回復のために思いやりのある行動をすることにつながっていきます。
このような「情の陰的な面」も、人生をより豊かなものにするために必要だということです。
「喜怒哀楽」という感情表現がありますが、「喜び」と「楽しさ」だけでなく、「怒り」や「哀しみ」も神が創造された感情です。それが自己中心の動機になると「要求」「裁き」「怨み」といった、怒りという堕落性本性となります。
しかし「怒り」は本来、義憤という義を貫こうとする「正義感」、道義に外れたことを正してあげたいという「愛情心」からの感情表現でもあります。
さて、今回の質問は「嫉妬深いという性格を変えたい」という内容です。
『原理講論』の堕落論には次のように表現されています。
「堕落性本性が生ずるようになった根本的動機は、天使長がアダムに対する嫉妬心を抱いたところにあった」「このような嫉妬心は、創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり、それはちょうど、光によって生ずる、物体の影のようなものであるといえよう」(『原理講論』122ページ 堕落論(六)堕落性本性より)
このように、「堕落の根本的動機」は、嫉妬心でありましたが、その嫉妬心は創造本性から誘発された影のようなものであるという表現がありました。
嫉妬心という性格を、無理に「無くそう!変えよう!」というよりも、それを創造本性として受け入れることが、まず必要ではないでしょうか。
それは、光が差せば必ず影が生じるように不可避的なものだからです。
「不安」「怒り」「嫉妬心」も神が創造された創造本性です。その心を自己中心に捉えた瞬間から堕落性本性となります。変えることに意識を向けるよりも、「神を中心に見つめる」「神を中心に受け入れる」ことこそ、重要なことです。
嫉妬心を神を中心に率直に受け入れて承認してみましょう。そうすれば、自己中心的に比較する心も消えていくのではないでしょうか。
皆さんからの質問をお待ちしています。
また、お会いしましょう!