2020.08.22 17:00
『平和の母』読者の声 26
この自叙伝の奥深くに、深い神様の事情が隠されている
このコーナーでは、真のお母様(韓鶴子総裁)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』を読んだかたがたの感想を随時ご紹介してまいります。
4月に開催された「感想文コンクール」で佳作に選ばれた作品25点を順次ご紹介します(文責:編集部)。
最優秀賞6点は『世界家庭』2020年7月号、優秀賞9点は『祝福家庭』2020年夏季号で紹介しています。ぜひ、併せてご覧ください。
今回は、59歳・男性の佳作受賞作品をご紹介いたします。
この自叙伝の奥深くに、深い神様の事情が隠されている
真のお母様のことを思い浮かべれば、春の暖かい日差しに照らされた野花が咲き乱れる、穏やかな春の野の風景が「ふーっと」思い浮かんできます。
しかしお母様が聖誕(誕生)されたころの歴史背景は、あまりにも過酷で悲惨な環境下であり、その当時を思うと心の中に痛烈に矢が突き刺さるような思いに駆り立てられます。
大韓独立万歳を叫ぶ3.1独立運動。光復節を迎え、喜びを爆発させる人々。そして韓国動乱の時代。
日本統治時代の迫害の中にあっても「白い服を着た大韓の人々が己の命も顧みず、統治者である日本に抵抗する純粋な正義を目撃しました。その汚れなき白衣は、韓民族がいつまでも大切にすべき、非暴力と平和の美しい象徴でした」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』22ページ)と、どこまでも清らかな心情、意志を抱き続けることができる偉大さ。日本民族の血を継ぐ者としては、いたたまれない心情をかき抱くしかありません。
私が大学2年の春の季節です。母親の命は夏場を超えられないかもしれないと医師から宣告されました。余命3カ月、膵臓(すいぞう)がんだったのです。母親には当然、事実は伝えられませんでした。
しかし死期が迫った頃、自らの死を悟ったのか、母は私を一人残していくことを非常に悲しまれ、私に対して「すまない。申し訳ない」と、子供を一人残していくことが哀れに思うのか、泣きながら謝るのです。
私は父親を小学生の時に亡くし、その後、女手一つで育てられてきました。2歳上の姉がいますが、結婚することが決まっていたので、家族に残るのは私だけになったのです。
私はその時、まだ真の父母様(文鮮明・韓鶴子総裁夫妻)のことは存じ上げていませんでしたが、自らの死を顧みず、一人残していく子供のことだけを必死に思い泣き崩れる母親の愛の深さ、偉大さというものをまざまざと見せられました。
死期が迫る母親に対する悲しみの中にありながらも、母親の愛の深さにただただ驚かされるばかりでした。
自叙伝に「子供に対する母親の哀切な思いは、突き詰めて言えば、私たち人間を訪ねてこられる神様の切実な心情でもあったのです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』77ページ)と書かれていました。
堕落の血統を延々と受け継いできた私は、いくら必死に神様を訪ね求めても、いくら祈り求めても、なかなか神様のことが心情的に分からないし、親なる神様という実感がなかなか持てませんでした。しかし神様は私の身近なものを通して必死なる思いで訪ね求めてこられていたことを思い知らされました。
私を生んでくれた母親の愛に対しても驚かされるのに、真のお母様という、人類の母親というかたはどのような存在なのでしょうか。全世界、全歴史の中心存在、真なる愛、母の愛、とてつもなく広く深く計り知れない存在。
「家族愛は、神様が本来願われていた愛であり、中でも親子間の愛は神様の愛をそのまま表す、最も献身的な愛です」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』275ページ)
神様と共におられるかた。真の愛で常に行動され、親なる神様のことだけを考え、慰労されるかた。そのようなおかたが今、この地上におられ、実体を通して教示していただける恵みを私たちは賜っています。
「真の父母に侍(はべ)って生きるとき、すべてを失った孤児の立場から抜け出し、本当の幸せを手にする神様の息子、娘となるのです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』186ページ)
自叙伝を読み続けていくと、お母様の路程に神様がおられ、歴史を通して神様のお姿が現れてきます。
しかし、より深く訪ね求めていけば、その表に映し出される情景から奥深い世界が見えてきます。この自叙伝の奥深くにとてつもない、深い神様の事情が隠されていることが浮かび上がってきます。
闇夜に光を照らすといろいろな情景が見えてくるように、自叙伝を深く読み続けていけばいくほど、今まで感じ得なかった神様の世界が見えてくるようになってきました。
何かとんでもないものに触れてしまったのではないかと思うほど、恐ろしさを禁じ得ません。
しかし、このことこそがお母様の世界であり、神様と真の父母様の悲しく苦しい事情であることを思い知らされました。
とても全てのことを知りつくせませんが、祈りながら、何度も何度も訓読し、神様、真の父母様の心情圏を体恤(たいじゅつ)していこうと思います。
長い間、神様、真の父母様の心情を理解したいと祈り続けてきましたが、なかなか悟ることができませんでした。しかし、この自叙伝の中に表されていることに気付きました。
真のお父様(文鮮明総裁)がお母様に「犠牲」と語られた、その一言に、神様の深い心情が隠されており、それをお一人で受け止められ「人類の母」となられる苦難の壮絶さはたやすく想像できるものではありません。
「平和の母」とあります表題の背後に、どれだけのお母様の血と汗と涙が隠されているのかと思うと、感情の高ぶりを抑えることができません。
私たちは今、真のお母様と共にいる時代に生を受けた者として、後代のためにも真の父母様に侍り、天の伝統を相続できる一人一人にならなければならないことを痛切に感じさせられます。