2020.08.05 12:00
スマホで立ち読み Vol.4
『ダーウィニズムを超えて』(2)
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
統一思想研究院が贈る『ダーウィニズムを超えて~科学の統一をめざして』をお届けします。
ダーウィンの『種の起源』発表から約150年。「進化論」は生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきました。本書は進化論を批判するとともに、「新創造論」としての新たな見地を提言しています。
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大谷 明史・著
第一章 進化論を超えて
~新創造論の提唱~
チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809-82)が『種の起源』(一八五九年)を発表してから間もなく一六〇年になろうとしている。進化論はその間、キリスト教の創造論を圧倒して、世界中に広がっていった。そして進化論が完全に勝利を収めたかのように見えた。しかし今日、進化論に対して多くの批判が寄せられるようになっている。そして創造か、進化か、という論争が高まってきた。特に、キリスト教国家の代表であるアメリカにおいて、論争が激しくなっている。
二〇〇四年十一月のギャラップ調査によれば、アメリカでは、聖書を文字どおりに解釈する創造論者は三割を超えており、漠然と神の創造を受け入れている人を含めると八割の人が、神による創造を認めているという。それに対して、神の存在を否定して、進化論の立場をとる人たちは一割しかいないという。ところが、その一割の人たちの大部分がインテリ層であり、学者たちの生物学会では進化論は学問として認められるが、創造論は認められず、「学問の世界に信仰を持ち込むな」といって退けられる。また高校や中学の生物学の教師たちの大半は進化論者である。そこで学校現場において、進化論を教えようとする教師たちと、それに反対する父兄たちとの間で激しく論争がなされてきた。かくして、アメリカでは一九二〇年代より、創造か、進化かという、裁判闘争が繰り返されてきた。しかし、進化論者は科学的に進化論は正しいと主張し、創造論者は聖書を根拠にして信仰の立場から創造論を主張するというように、この論争には解決の道が全く見えない。
創造か、進化か、という問題は共存できる性格のものではない。一方の立場に立てば他方を否定せざるをえないという関係だからである。従来のキリスト教による創造論は科学的事実を無視して独断的に創造を主張するか、聖書を文字どおりに解釈して、それに合わせて科学的事実を解釈しようとするものであった。それに対して、進化論は生物学や考古学の観察の事実を挙げながら論じられたために、科学的な真理のような印象を与えたのであり、一般的に受け入れられやすかったのである。
今日、進化論には多くの問題点があることが指摘されている。それにもかかわらず、進化論が生き続けるのは、それに代わりうる代案がないからである。進化論に対抗する代案は創造論であるが、今日、キリスト教の立場から提示されている有力な創造論は、根本主義の特殊創造論である。しかし、聖書を文字どおりに解釈しようとする特殊創造論は、一般の人々にとって受け入れ難いものである。
ここに代案としての新しい創造論が待望されている。それは現代科学の成果を無視する特殊創造論ではなくて、真に科学的な創造論でなければならない。そのような立場から、ここに統一思想に基づいた新創造論を提示しようとするのである。以下、テーマごとに、進化論、キリスト教の創造論、統一思想の新創造論の要点を紹介し、進化論と創造論の論争が、新創造論の立場から収拾しうることを示そうとするのである。
なおここに取り上げるキリスト教の創造論は、聖書を文字どおりに解釈する根本主義の特殊創造論である。それは特殊創造論がキリスト教の典型的な創造論であるからであり、さらに特殊創造論を取り上げることによって、進化論と創造論の対立点を明確にすることができるからである。
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次回(8月12日)は、「(一)生物に目的はあるか(1)」をお届けします。