2020.06.10 17:00
家族の絆づくり 119
「葛藤の人生」から「安らぎの人生」へ
ナビゲーター:阿部 美樹
常に葛藤する人の特徴
思いどおりにいかないことが多過ぎて「人生は葛藤の連続である」と考える場合があります。
「なりたい自分と現実が違い過ぎる」という自分に対する葛藤、「私の考えと相手の考えが違う」という人間関係の葛藤、「頑張っているのに成果が上がらない」という仕事の葛藤、「ゆっくりしたいのに忙しい」という生活リズムの葛藤、「豊かになりたいのにお金がない」という経済的な葛藤など、さまざまです。
葛藤の背景には、物事を「理想(望んでいること)」と「現実(望んでいないこと)」の対立と捉える傾向があります。
言い換えれば、望んでいることが「善」であり、望んでいないことは「悪」と考える「善悪の対立」という構図です。
「対立」から幸せが生み出されるでしょうか?
「対立物の闘争によって発展する」という唯物弁証法の考え方がありますが、対立と闘争からは安らぎを生み出すよりも葛藤をつくり出すことでしょう。
唯物弁証法では発展を対立物の闘争と考えて「正反合」といいますが、統一原理ではそのようには考えず、「正分合作用」と表現します。
神から分かれた主体と対象が心情を中心として(目的が立てられ、目的を中心として)授受作用を行えば、主体と対象が合性一体化して合性体になります。その合性体こそ、繁殖体であり、新生体となって発展していくという原理です。
常に安らぎの心を持っている人の特徴
一方、どんな状況においても「安らぎ」の心を持って生きる人もいます。
安らぎの心を持っている人は、望んでいることが実現している時だけでなく、望んでいない現状の時でもその心を保ち続けています。
その特徴は、「敵はいないという安心感」「無駄なものはないという価値観」「成長している向上心と充実感」「全ては必要なものという承認の姿勢」などを持っています。
このような生き方の特徴は、一言で表現すれば「全ては私の幸せのために神様が与えてくださる」という信念です。どんな状況でも、「神様は私に必要な人と出来事と環境を与えてくださる」という捉え方です。
しかし、人間は堕落によって「自己中心」に物事を見つめる癖がついてしまいました。自己中心に捉えると「損・得」で考えたり、「快・不快」で判断したりするなど、「対立・闘争」になる傾向が強くなります。自己中心に捉えると神から遠くなってしまいます。
神から見つめたら、損だと思ったことが「愛の実践」であることに気付いたり、不幸だと思ったことが「試練という転機」になったり、災難だと思ったことが「訓練という成長」になったりするなど、全てが幸せを実現する要素となります。
「矛盾がもたらした対立物」という観点から「神様が与えてくださったペアシステム」であるという観点への転換です。
このように観点を転換することで、神から「承認されている」「愛されている」ことに気付き、「安らぎの平常心」(安定した心のバランス)を持つことができるようになるのではないでしょうか。