2020.05.07 22:00
心のあり方 45
自然は神様の分身
アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。
浅川 勇男・著
第十二章 一つの岩、一瞬の風にも神様の息遣いが隠れている
自然は神様の分身
二番目は、全ての自然万物は神様の分身だ、ということです。全ての自然万物は見えない神様が実体で現れたものなのです。もちろん、神様の姿そのものではなく、ごく一部の姿です。でも、神様の愛をもっているのです。
神様の愛は無償の愛です。人間の幸福のために見返りを求めずに与える愛です。その愛を最もよく表しているのが、空気です。空気は目には見えませんが、実在しています。人間にとって不可欠な存在です。
ある人に聞いてみました。「あなたはどのようにして生きていますか?」その人は答えました。「当たり前だろ、食って生きてるのさ」。
この答えは一見、納得できる答えのようですが、正確ではありません。人は食べなくてもしばらくの間、生きることができます。それに、仕事の最中は食べていません。終わってから食事しているのです。
正解は、「空気を吸って生きている」です。どんなにお金があっても、ご馳走を前にしても、空気がなければ瞬間的に死んでしまいます。
空気は二十四時間人のために生きています。誰からも感謝されず、意識されなくても、ひたむきに人のために生きています。まさに神様の愛です。
では、水はどうでしょうか。水も私たちの生活に欠かせないものです。水がなければ、水は飲めません。当たり前です。顔を洗えず風呂にも入れません。食材も洗えず、洗濯もできません。汚れをとれないのです。
どんな豪邸でも、水道管がなくて水がでなければ、欠陥住宅です。人は水のお世話になって生きているのです。でも、水に感謝していますか?
水は神様の愛そのものです。まず、色が凄いです。無色透明。色のない奇跡の色です。だから、顔を洗え、洗濯ができるのです。蛇口から真っ黒の水が出てきたらどうでしょう。それで洗えば、顔が真っ黒になってしまいます。黒色の風呂に入れますか? 墨汁に体をつけるようなものです。
しかも、水は人間の好みどおりに姿を変えてくれます。コップに入れればコップの形になり、洗面器に入れれば、円い形になります。「いやです」と拒否しません。「やってられません」と反発しません。とっても素直で、我がありません。人のために徹しているので、我がないのです。そして、人の顔や食器についた汚れを付けて下水道に去っていきます。なんとも言えないかっこ良さです。
まるで、アメリカ映画、「君の瞳に乾杯」のセリフで有名な『カサブランカ』の主人公みたいです。(主演、イングリッド・バーグマン、注:この映画を知っている人は年配の人です)
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次回は、「神様のメッセンジャー」をお届けします。