真理とは、「実体み言」である天地人真の父母様
第9回 独り子のみ言と、独り娘のみ言とは矛盾しない

教理研究院

 今回は「〝真理〟とは何か」について真のお父様のみ言から考察してみます。独り子(文鮮明総裁)が語られるみ言と、独り娘(韓鶴子総裁)が語られるみ言は、いずれも神から出てきているみ言であり、矛盾はありません。しかしながら、〝矛盾しているのではないか〟と考える人もいることから、以下、この問題について論じてみることにします。
 なお、これらの内容を総合的に理解し把握するためには、「真の父母様宣布文サイト」の掲載文や映像をごらんください。
 注:真の父母様のみ言や『原理講論』『統一思想要綱』からの引用は「青い字」で表記しています。

※『世界家庭』(天一国7年天暦12月)2020年2月号より転載

四、真理のみ言は、「真の父」と「真の母」から出てくる

(3)独り子のみ言と、独り娘のみ言とは矛盾しない
──み言に接するとき〝言葉尻〟にとらわれてはならない

 前述したように、神のみ言は独り子を通して男性的に語られたりしますが、女性的に語られたりもします。真のお父様は、神による〝男性〟と〝女性〟の創造について、次のように語っておられます。
 「神様は男性でしょうか、女性でしょうか? 男性に似たでしょうか、女性に似たでしょうか? ……人と似ているのです。それでは、人に似たのならば、それにも相対がいるでしょうか? 絶対に必要なのが相対なのです。相対がいなければ、生まれてくる必要もありません。考えてみてください。『男性』と言うとき、男性が生まれる前に女性を認めなければ、男性は生まれることができません。このような話は初めて聞きますね。男性を創造した主人がいるというとき、女性という存在を前提条件として定めておいてから、男性を造らざるをえません。正しい話ですか?(「正しいです」)(『ファミリー』2004年4月号26~27ページ)

 真のお父様は、女性を〝前提条件〟として定めておいてから、神は男性を創造されたと語っておられます。一方、次のようにも語っておられます。
 「神様は、アダムに似せてエバを造りました。アダムの相対になることができるように、アダムを造られた原則、その青写真に基づいて造ったのです。聖書を見ると、男性のあばら骨を取って女性を造ったと記録されています。それは、骨子をまねて造ったということです。ですから、完成したアダムは、この地で失ってしまったものを取り戻すことができるひとり子です」(『真の父母経』32ページ)

 このように、真のお父様は、一方では女性を前提条件として定めてから男性を創造し、他方では、アダム(男性)に似せてエバ(女性)が造られたのだと語っておられます。一見矛盾するみ言のようですが、どちらのみ言も真理です。ただ、独り子を中心に見詰めてみ言を語っておられるのか、あるいは独り娘を中心に見詰めてみ言を語っておられるのかという違いがあるにすぎません。
 ところで、真のお母様は2014年10月27日、天正宮博物館で次のように語られました。
 「大母(テモ)様も私を出産したとき、天が『あなたは乳母である』と命じたと言います。……そのため私は(大母様を)肉身の父母だと思いませんでした。いとおしくてもそう思いませんでした。……あなたのお父さんは神様だと。……私がこの場まで来るまでは天の保護圏にあったのです。私を教育した人は誰もいません。独り子、独り娘は同等なのです。独り子が独り娘を教育したとは言えません。どのような意味か分かりますか? ですから私が決めたのです」
 このように、真のお母様は「独り子、独り娘は同等なのです。独り子が独り娘を教育したとは言えません」と語っておられます。しかしながら、真のお父様は次のように語っておられます。
 「純真無垢な女性を、すべての女性たちの上に立てようとするのですから、先生が一人で教育しなければなりません。……それで、『先生を双子の兄のように考えなさい。そして、父のように考えなさい』と(お母様を)教育しました」(『真の父母の絶対価値と氏族的メシヤの道』57~58ページ)

 両者のみ言は矛盾しているかのように感じられますが、矛盾はないのです。独り子と独り娘は、もともと神の中にある陽性(男性)と陰性(女性)から出てきたものです。両者は、神から出てきた〝同等の価値〟を持つ存在ですが、どちらがより主体で、より対象であるかと問うときには、主体である陽性(男性)が陰性(女性)を教育したという主張には一理あると言えます。
 しかし、前述した真のお父様のみ言に「男性と女性は、そもそも合うようにはなっていないのです。愛しながら合うようになっている……それが原則なのです。……愛することによって合うのです。……それが神の創造の傑作です。完全に合わないようになっているのが、完全にひとつになるようになるのは、愛することによってです」とあるように、男性と女性は、真理(理論理屈)や主体・対象という考え方によって一つになるというものではなく、愛し合うことによってのみ一つになるのです。したがって、対象である陰性(女性)から見るときに、真の愛で陽性(男性)と一つになるのであって、〝教育〟によるものではないと言えるのです。
 真のお母様は、常に「感謝します(감사합니다)」「愛します(사랑합니다)」という心を持って生活され、真のお父様に生涯侍ってこられました。そのような愛の心情、感謝の心情を持つことで独り子と完全に一つになり、「最終一体」を成し遂げておられるのです。そのような観点から見るとき「独り子、独り娘は同等なのです。独り子が独り娘を教育したとは言えません。……ですから私が決めたのです」と言われることも真理です。
 また、真のお父様の真のお母様に対する教育は事細かに事情や意味、やり方を説明する教育ではなく、悟らせて成長させる教育であり、お母様はお父様の願いを悟られ、自ら行動して勝利され、真の母としての位置に進まれたのであって、「ですから私が決めたのです」と語っておられるのです。