愛の知恵袋 113
一人は皆のために、皆は一人のために
(APTF『真の家庭』234号[2018年4月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

北海道新幹線開通の祝賀の陰で

 2016326日、北海道新幹線(新青森駅~新函館北斗駅)の開通式が行われ、沿線の駅は祝賀行事に沸きました。

 同じころ、北海道の雪深い山間地では、もう一つの出来事が起きていました。同日をもって、道内8か所の無人駅が廃止になったのです。その中には、石北本線の上白滝駅、旧白滝駅、下白滝駅、金華駅の4駅が入っていました。

 JR北海道の石北本線は、道央の旭川駅から、北見駅を経て、道東の網走駅を結ぶ全長234㎞の鉄道路線です。駅の廃止は、以前から利用客の減少による累積赤字に悩んできたJR北海道の苦渋の決断でした。

 そんな中で、「旧白滝駅」でのある出来事が、多くの人達の心をとらえ、話題となりました。実は、これらの駅の廃止は以前から計画されていましたが、地元の人たちの要望で、20163月まで延期されていたのです。

▲旧白滝駅全景(ウィキペディアより)

たった一人の女子高生のために

 旧白滝駅は、“秘境白滝シリーズ”の一つで、周辺には民家もわずかで、小さな停車場に木造の待合室があるだけの駅でした。もともとこの駅は、オホーツクの開拓民の要望で開業した駅で、地元の住民たちが寄付を集め、自らの手で盛り土をしてホームをつくり、待合室もつくった駅だったので、彼らには特別の愛着がありました。

 しかし、過疎化に加え、多くの人が自動車を利用する時代になり、利用する人がごくわずかになったため、数年前、JR北海道は駅を廃止しようとしました。

 その頃、この駅を毎日通学のために利用している一人の女子高生がいました。

 原田華奈さんは遠軽高校に入学してから、毎日父親に駅まで車で送ってもらい、鉄道で高校へ通っていました。

 雨の日も吹雪の日も、毎朝、停車場に立って列車を待つ彼女の姿を見た地元の人たちは、JR北海道に「せめてあの子が卒業するまで、駅を残してください!」と嘆願しました。その願いが届いて、JR北海道は華奈さんが卒業するまで廃駅を延期してくれたのです。

 おかげで、華奈さんは3年間、毎日この駅を使って、高校に通うことができました。201631日、卒業式の日。雪の積もった停車場に華奈さんが着くと、数人の住民がいて、「無事に卒業出来て良かったね! おめでとう!」と言って花束を渡してくれました。

 そして、325日。ついにこの駅が歴史を閉じる日が来ました。粉雪の舞う中、数十人の住民たちが駅に集まってきました。「旧白滝駅 69年間 ありがとう!」という看板が掲げられ、彼らが書いた寄せ書きの2枚の布が広げられました。そこには「3年間お世話になりました。ありがとうございました。69年間お疲れ様でした。原田華奈」という文字もありました。

 彼女は高校卒業後、東京の看護学校に行って看護師を目指すことにしたそうです。

海外から寄せられた反応

 この駅と華奈さんのことは、ネットやメディアを通じて海外の人達にも知られることになり、外国からも多くの感想が寄せられました。以下、ネットからその一部を拾ってみましょう。

 「美しい話じゃないか。現実に起きたのが信じられないくらいだ」「アメリカの企業なら、駅を開け続ける費用を請求するよ」「教育を第一優先においている日本の方針に拍手したい!」「たった一人の乗客のために運行を続けていたJRをリスペクト(尊敬)したい!」「この話は、日本人が非効率的だと証明しているだけじゃないのか。ほかに解決すべき問題が山ほどあるだろう」「日本人は効率的だよ! 文化は他者をリスペクトすることが重要なのさ」「日本人全員にとって、彼女もまた一人の日本人。つまり、家族の一員というわけだ。この考え方が日本人と他の国との違いだ!」

 私はこの話は単なる美談ではなく、その奥に、もっと大切な意味を秘めていると思いました。

 「個人は全体のために、全体は個人のために」という重要な真理を、この中に垣間見ることができるからです。これは、宇宙全体の法則であり、人体の構造と機能にも、社会の在り方にも、そのまま当てはまる法則です。

 今、社会問題になっている“ブラック企業”というのは、会社の業績のために過酷な労働をさせながらも、社員一人一人の生活と苦悩には関心を持とうとしない社風のことでしょう。そんな会社は、一時的には発展するかもしれませんが、決して永続はできないものです。

 これは家族でも、会社でも、団体でも、国家でも、同じことが言えるのではないでしょうか。