私の心の中にいる神様 4
私を幸せに導いてくれる良心

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。
 毎週土曜日に配信予定です。

 私は公職者(教会の職員)の両親のもと、一人っ子として育ちました。

 私が3歳の時のことです。「安侍日(アンシイル)」の朝、あまりの眠さにだだをこねて、母に当たり散らしてしまったことがありました。するとそれを見た父がキレて、私を玄関まで引きずっていき、「出て行け」と言ったのです。

 以来、そのことが恨みになり、父に対して完全に心を閉ざしてしまいました。遊びに連れていってもらっても楽しくなかったし、親子らしいけんかもしたことがありませんでした。

 ところが、大学生になって21修に出た時、閉講式で、「親の愛を父親からも母親からも感じられないと、本当の意味で天の父母様の愛を感じることはできない」という話を聞いたのです。衝撃でした。帰りの電車の中でも、そのことが忘れられず、悶々(もんもん)としました。私は必死で、「どうしたらお父さんの愛を感じられるのだろう」と良心に尋ね求めました。

 心の整理がつかないまま家に着き、母に21修の報告をしていたところ、「(単身赴任中の)お父さんにも電話したらいいよ」という良心の声が聞こえてきたのです。しかも、「テレビ電話がいいね」と。

 それまで自分から父に話し掛けたことはなく、ましてや電話をするなどもってのほかでした。うろたえる私にお構いなく、良心は「電話したらいいよ」と言い続けるのです。激しく葛藤しましたが、ついに「良心の声に従ってみよう」と心を決めました。

 いざiPhoneの画面に父の顔が映ると、戸惑いましたが、父の目をじっと見詰めた時に、小さい頃の父との良い思い出がよみがえってきました。公園で遊んでもらったこと、プールに連れていってもらったこと、アイスを買ってもらって一緒に食べたことなどが、走馬燈のように浮かんできたのです。

 その瞬間、「ああ、私は愛されていたんだ」という実感が心の底から湧き上がってきました。そして自然に、「今まで本当にありがとう。お父さん、愛しています」という言葉が口を突いて出てきたのです。自分でも不思議でした。

 その時、私は初めて父の涙を見ました。祖父の葬式でも泣かなかった父が、画面の向こうで泣いていたのです。また、私と父の会話を台所でキュウリを切りながら聞いていた母も、泣いていました。家族が愛で一つになった瞬間でした。

 私の良心は、私が一番したくないことを提示してきたけれど、その声に聞き従うことによって、何倍もの喜びが返ってきました。良心は、私が幸せになるように明確に導いてくれる第二の神様です。

(女性、20代)

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 次回は、「ほんとは好き!」をお届けします。


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