2020.01.09 22:00
心のあり方 28
映画『砂の器』の教訓
アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。
浅川 勇男・著
第七章 幸福は常に私たちを待っています
映画『砂の器』の教訓
欲に目がくらんだ犯罪者の姿を描いた小説家がいます。社会派推理小説の先駆けとなった、松本清張です。
松本清張の主人公は、天才的な犯罪者ではありません。ごく当たり前の生活をしている人間ばかりです。平凡な人が、我欲にかられて犯罪者になる姿を描いたのです。彼の犯罪小説は映像化しやすいため、大半の作品が映画になりました。こんな逸話があるそうです。
清張は、自分の書いた小説の映画試写会は必ず行きました。しかし、感動したことはほとんどなく、上映途中で帰ったこともあったそうです。おそらく、自分の真意が正確に表現されていない、と思ったのでしょう。しかし、ただ一つの映画だけは、唸(うな)って感動したのです。その作品が日本映画史上、不朽の名作と言える、『砂の器』(松竹映画1974年、主演、丹波哲郎)です。この映画の見事さは、最後の沈黙の十数分間にあります。寂しく荒涼とした日本海沿岸をさまよう父子の姿を描写しつつ、交響曲「宿命」(芥川也寸志作曲)の音楽だけが流れます。こういうストーリーです。
父親がハンセン病にかかり、村から父と共に追い出された少年がいました。父と子はあてどなくさまよい続けます。無残な乞食となって物乞いをします。しかし、どこに行っても、忌み嫌われて追い出されます。人の冷たさ、非情さが、少年の心を突き刺します。不信と憎しみ、怨みが心に醸成されていきます。まるで野良猫のように家の軒下に潜んでいる二人を、村の巡査が見つけました。彼は心の温かい人で父子の世話をします。父を病院に入れてあげ、子供には実の子のように愛を注ぎます。しかし、深く傷ついた少年の心は癒やされませんでした。ついに巡査の家を出て行方をくらましてしまいます。
何年かのち、少年は、音楽の才能を発揮して、作曲家、指揮者になって、世の脚光を浴びるようになりました。さらに、国会議員の娘と婚約します。少年は本籍を偽造し、出生の秘密を消して、栄光の道を歩んでいたのです。
ある時、自分と父の世話をしてくれた巡査が訪ねてきます。巡査にはよこしまな心は全くありません。ただ懐かしくて会いたかっただけなのです。しかし、彼は、自分の出生の秘密が暴露されるのを恐れて、巡査を殺害してしまいます。我欲におかされた彼は、自分の立場を守るために、恩人を殺害したのです。それが、自分の幸福を守るためと思い込んだからです。
やがて、罪は発覚します。彼が作曲した交響曲「宿命」の指揮をして、栄光の絶頂を極めたとき、逮捕されてしまうのです。正に、文鮮明先生の言われるとおり、「利己的な人生は、究極的には自分を破壊する人生」となったのです。過分な欲望の行い、つまり情欲、権力欲、金銭欲が、人生を転落させていくのです。
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次回は、「幸福はために生きる人生にある」をお届けします。