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心のあり方 29
幸福はために生きる人生にある

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第七章 幸福は常に私たちを待っています

幸福はために生きる人生にある

 文鮮明先生の幸福観は「ために生きる」ことです。
 「幸福はために生きる人生にある」と悟られ、老齢に至るまで愛の実践をし続けました。人のために生きて感じる喜びこそが、真の幸福なのだ、と感得されたのです。このため、文鮮明先生のご生涯は、ために生きることに徹していました。

 「貧しい友達が弁当に粟飯を包んでくるのを見ると、やるせなくて自分のご飯が食べられず、友達の粟飯と交換して食べました。……何としてでもその子の空腹の問題を解決しようとしました。それこそが私の一番好きな遊びだったからです」(自叙伝27ページ)

 「漢江(ハンガン)の橋の下にはぼろぼろの服を着た乞食があふれていました。私は漢江の橋の下の貧民窟を訪ねて行き、彼らの頭を刈って心を通わせました」(自叙伝74─75ページ)

 「私は家から送金されたお金を皆、貧しい人々に分け与えました。……私は一カ月分の食券が手に入ると、全部持って行って彼らに渡して、「食べろ、思う存分食べろ」と言って、すべて使いました。……お金を稼いで苦学生の学費を助けるのも私の楽しみでした」(自叙伝81ページ)

 ために生きる人生に徹したとき、待っている幸福と出会えるのです。

 では、夫婦関係について考えてみましょう。幸福は家族円満であり、その中心に夫婦円満があります。では、夫婦円満という幸福は、あなたを待っているのに、なぜ、幸福に出会えないのでしょうか? ある奥さんはこう言うかもしれません。「決まってるでしょ。夫が自己中心で、私への愛が足りないからですよ」。ある夫はこう言うかもしれません。「決まってるだろ、妻が自己中心で夫へのいたわりが足りないからですよ」。

 双方とも相手が不幸の原因と確信しています。不幸は相手のせいだと決めつけています。実は、「人のせいにする」思いが、不幸の原因となっているのです。自分のために伴侶がいるのでしょうか? 伴侶を犠牲にして自分が幸福になるために結婚したのでしょうか?

 文鮮明先生は、結婚の意義について語られています。

 「結婚は、私のためではなく相手のためにするものです。結婚するとき、立派な人やきれいな人ばかりを追い求めるのは間違った考えです。人間は、人のために生きなければなりません。結婚するときも、その原則を忘れてはいけません」(自叙伝228ページ)

 「結婚は犠牲の上に成り立ちます。男性は女性のために生き、女性は男性のために生きなければなりません。私の利己心がすべて消えるときまで、絶えず相手のために生きなければなりません」(自叙伝230ページ)

 どうやら、夫を幸福にしてこそ幸福になれる女性を妻と言い、妻を幸福にしてこそ幸福になれる男性を夫と言うようです。自分の幸福のために愛を乞う人は幸福になれないのです。

 伴侶の幸せのために愛の実践をしたとき、「私を待っている幸福」に出会うことができるのです。伴侶に要求し続けている限り、「私を待っている幸福」に出会えません。自分の愛の不足に気づき、更なる愛の実践をするとき、「私を待っている幸福」に出会えるのです。

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 次回は、「訓読書写で夫婦円満」をお届けします。


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