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心のあり方 27
待っている幸福に出会えない理由

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第七章 幸福は常に私たちを待っています

待っている幸福に出会えない理由

 人は幸福を求めて生きています。人生の目的は幸福になること、と言っても過言ではありません。結婚するのも、子供を生んで育てるのも、嫁を迎えるのも、幸福になるためではないでしょうか。

 ところが、なかなか幸福になれないのが現実です。幸福を必死に求めて、不幸になっています。なんだか、幸福が自分を避けているみたいです。では、幸福は求めれば求めるほど逃げてしまうのでしょうか。まるで、捕まえようとすると飛んでいってしまう蝶(ちょう)のように……。

 いいえ、そうではありません。文鮮明(ムンソンミョン)先生は「幸福は常に私たちを待っています」と、断言しています。幸福は逃げも隠れもせず、むしろ、今か、今かと私たちが来るのを待っているのです。

 人生をマラソンに例えてみましょう。ゴールはスタジアムの定位置にあり、決して動くことはありません。ひたすら、最初のランナーの到着を待っています。ゴールが動いたり、隠れたりはしません。不動です。では、なぜ、幸福を求めてスタートしたランナーは、ゴールにたどり着かないのでしょうか。答えは簡単です。

 ランナー自身が道を間違えたか、途中で走ることをやめたかです。幸福のゴールが動いたのではないのです。正に、「幸福のゴール」の立場から言えば、待ち人来たらず、なのです。

 何が人生のランナ─に道を迷わせたのでしょうか。文鮮明先生はこれを、“欲にくらんだ目”だと言われます。走者自身の我欲が行く道を阻んだのです。

 「幸福は常に私たちを待っています。それでも私たちが幸福を探しだすことができない理由は、欲望が行く道を阻むからです。欲に眩(くら)んだ目は前を見ることができません」(自叙伝339ページ)

 我欲のせいで幸福への正しい道を見失ったのです。不幸へ直進する道に迷い込んでしまったのです。車の運転であれば、「目的地へ右折」標示を見間違えて左折して、さらに「この先、崖にて通行禁止」の標示を直進して転落するようなものです。

 そればかりではありません。「我欲」に捕らわれた人生の運転手は、目先の幻想に惑わされて人生を浪費するのです。文鮮明先生も言われています。

 「たったいま地面に落ちかけた黄金のかけらを拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくし、ポケットが破れたことも分かりません。……利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です」(自叙伝339~340ページ)

 かけらにすぎない断片に人生の大半を消耗して、ポケットの穴から断片がこぼれ落ちていることに気がつかないのです。

 「幸福になろう」という欲望は悪ではありません。人間として当然のことです。しかし、他人に犠牲を強いてまでも我欲を満たそうとすれば、結局、不幸になってしまいます。人を不幸にさせれば、怨(うら)みを買います。一時期、繁栄しても、無残に転落してゆくのです。歴史を見れば、卓越した指導力をもつ権力者が多く登場しました。しかし、自分や一族の権勢だけを誇示しようとして、結局、破滅しています。

 利己的な人生を歩んで自分と家族を破滅させてしまうのは、歴史的な人物だけではありません。私たちの人生でもあることです。「殺人、強盗は極悪人のやることだ」と思うのは間違いです。ニュースを騒がす犯罪事件の主犯も、かつては善良な人だったのです。何かのきっかけで、欲に目がくらんで、「自分を破壊する人生」に転落したのです。

 どんな人間にも自己中心的で過分な欲望が潜んでいます。目がくらんだ欲望が何かの機縁で噴出して人生を破壊させてしまうのです。
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【み言訓読タイム⑦】
*自叙伝「平和を愛する世界人」より

 幸福は常に私たちを待っています。それでも私たちが幸福を探し出すことができない理由は、欲望が行く道を阻むからです。欲に眩(くら)んだ目は前を見ることができません。たったいま地面に落ちた黄金のかけらを拾おうとして、その先にある大きな黄金の山を見ることができず、ポケットに入れることにあくせくし、ポケットが破れたことも分かりません。(自叙伝339ページ)

 自分だけのために生きる利己的な人生ほど愚かな人生はありません。利己的な人生は、自分のために生きているように見えますが、究極的には自分を破壊する人生です。個人は家庭のために、家庭は民族のために、民族は世界のために、世界は神のために生きなければなりません。(自叙伝340ページ)

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 次回は、「映画『砂の器』の教訓」をお届けします。


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