家族の絆づくり 98
新年を迎えて何を祈るのか?

ナビゲーター:阿部 美樹

「~ください」という私利私欲の祈り

 新年を迎えると多くの人が列を成して初詣を行います。人々は、家内安全、無病息災、商売繁盛、交通安全、厄除け、縁結び、安産など、さまざまなことを祈願します。

 では、「祈り」とは何か。どのような祈りが正しい祈りであり、神様が聞いてくださる祈りなのでしょうか。

 文鮮明先生の祈りに関するみ言を紹介いたします。

 「宗教を信じる人たちの祈祷は、『全知全能の神様! 恵みを下さいませ! 祝福してくださいませ!』と言うだけでした。祈祷のすべてが、神様の目的を成就するためのものではなく、自分の欲望を満たすためのものであり、そのように神様を利用してきました」(『天一国時代の祈祷』(改訂版)p.74)

 「皆さんが祈祷するのを見ると、みな『何かを下さいませ』と言って、『くれ』という祈祷ばかりします。そのように『くれ』というのは自分が必要とするのであって、神様が必要とされるものではありません。皆さんが神様を感動させようとするなら、神様が必要とされる材料を求めなければなりません」(『天一国時代の祈祷』p.46~47)

 このように、祈祷する時は私欲を中心として福を得ることばかり祈ってはいけません。神様の喜ばれる祈り、神様が導かれる祈りが必要です。

天が喜ぶ「孝情の祈り」

 「聖子(せいし)になるための祈祷の主題は神様です。ですから、神様のために祈祷をしなければなりません。神様が願われるとおりにすべきであって、自分が願うとおりにしてはいけません。……神様のみ意(こころ)にしたがって、神様のお考えになるとおりにしなければなりません」(『天一国時代の祈祷』p.44)

 「皆さんは、『神様、私を通じてあなたの悲しみを解いてくださいませ』と祈祷しながら、神様を慰労し、イエス様を慰労すべき立場にあります……」(『天一国時代の祈祷』p.50)

 「『神様の恨(ハン)を解いてさしあげるために、この場に来ましたので、その方法を教えてください』と祈らなければなりません」(『天一国時代の祈祷』p.60~61)

 このように、本質的な祈りとは「孝情の祈り」です。絶対的な主体である神様によって私たちは絶対的な対象になります。

 神様のみ意に従う私になってこそ、霊的に明るくなり、とても敏感になります。善悪に対する分別力が生じます。ですから、自分自身のためではなく、神様の栄光のために祈らなければなりません。神様の理想をつかみ、現世と戦う心情で祈らなければなりません。