家族の絆づくり 82
信仰する人は神様にすがる弱い人?

ナビゲーター:阿部 美樹

信仰は強くないとできない

 神様を信仰する人、宗教に入る人に対して、周りの人は「あの人は、神様にすがる弱い人だ!」と見ることがあります。

 信仰者に対して、悩みを多く抱え自分では解決できず、神様に手を合わせてお願いしているイメージなので、弱い人と見るのかもしれません。しかし、信仰こそ、清く正しく強くなければできないものです。

 為に生きる、精誠を尽くす、愛する、信じる、感謝する、許すなど、「み言に基づいて生きる」ことは強い意志と決断がなければできません。祈りも強い意志がなければ深い祈りをささげることはできません。

 祈りの本質は、心配事が解決されるように、願い事が成就されるように神様に全てをお願いするご利益のみを目的にするものではありません。「心配事を解決できる私」になるように、「願いを成就できる私」になるように「自己の責任」を中心として祈ること、また、誰かのためにとりなしてささげるものが祈りです。

孝情の祈りをささげる

 信仰生活の基本は、「祈りとみ言(真理)と実践」です。
 「祈り」という霊的呼吸を通して、「み言(真理)」という霊的食物を通して、「実践」という精誠の生活を通して成長するようになっています。

 その中でも霊的生命と直結する最も大切なものが「祈り」です。
 祈りは「神様との対話」ですが、神様はどのような対話を願われているでしょうか? 率直に、素直に伝える祈りも喜ばれますが、対話ですから「神様のみ意を尋ね求める」「神様の声に耳を傾ける」という姿勢も必要です。

 また、自分の心配や願いのみをひたすら必死に祈るあまり、神様の摂理を無視した不満や要求、讒訴(ざんそ)になってしまうことがあります。
 恵みの前に、サタンの訴えを防ぐために試練を与えざるを得ない事情を持った神様でいらっしゃいますが、そのことを無視してしまうからです。

 まずは神様の愛に対する「感謝の祈り(ありがとうございます)」と「悔い改めの祈り(申し訳ありません)」が必要です。さらに「愛する祈り(愛しています)」を通して孝情の祈りをささげていきましょう。
 そうすれば、神様と一つになって無限の力が与えられることでしょう。