家族の絆づくり 81
信じて愛して共に暮らす

ナビゲーター:阿部 美樹

「信仰」とは何を信じること?

 人間始祖が神様の戒めを不信して堕落したために、堕落人間の心には「不信しやすい」という特徴があります。

 家庭生活など、何か思いどおりにいかないと不信の思いが湧いてきます。
 その原因は、周りの人や環境が悪いからと判断しがちですが、それ以上に自分自身の心の中にある「不信感」という問題があります。その不信を信頼や信仰に転換させるのが「信仰生活」です。

 「信仰生活」とは、「信じ仰ぐ生活」と書きますが、具体的に何を信じ、仰ぐことなのでしょうか?

 第一に、愛と生命と血統の根源である「神様」を信じる生活です。恵みの時だけでなく、試練の時であったとしても神様の愛を信じていくことです。

神様を信じるように自分と家族を信じる

 第二に、神様の息子・娘である「自分」を信じる生活です。
 神様を信じる生活をしても、自分を不信する人に神様は協助することができません。自己不信は、自分に対する誇りや尊厳性を喪失させるだけでなく、心の中に不安や孤独、恐れを増進させます。神様が与えてくださった個性を信じることです。

 第三は、神様の代身である「家族」を信じる生活です。
 夫婦にとって、お互いは神様が与えてくださった永遠の理想相対です。
 子女は、その父母に最もふさわしい存在として神様が与えられた尊い生命です。

 しかし、家族に対しては期待が大きい分だけ不信しやすい傾向があります。常に神様に対する姿勢と同じように、家族を信じることによって神様の愛が宿る家庭になります。

 このように、神様を信じ、自分を信じ、家族を信じることこそ、信仰生活の本質です。

 次のようなみ言(文鮮明先生の教え)があります。
 「幸せな個人とは、どのような人だと言いましたか。お互いが信じて、お互いが愛して、お互いが共に暮らす、そのような人だと言いました」

 信じることがゴールではなく、「愛して共に暮らす」ことこそ、幸せの極みなのです。