家族の絆づくり 67
「善悪の物差し」と「陽陰の物差し」

ナビゲーター:阿部 美樹

善悪で判断すると葛藤の連続に

 私たちが直面する出来事や人物に対して、「善悪の物差し」で観察し、判断することがあります。

 病気になったり、けがをしたり、けんかしたりするなどの出来事はあってほしくないことなので、「悪なる出来事」と判断します。
 人間関係においても、暴言を吐き暴力を振るう人、約束を破り人を無視するなど、これはあってほしくない姿なので、「悪なる人」と判断します。

 善悪に分けて判断する場合、自分を「善の立場」と考えて、自分に不利益を与える人や出来事を「悪の立場」と考えます。

 このように考えれば考えるほど、葛藤と悩みは絶えません。自分に都合のいい出来事や自分の思いどおりになる人はほとんどいないからです。

全ては神様のプレゼント

 それよりも、全ての出来事や周りの人はどのような状況であっても、私に必要な存在であると捉えたらどうでしょうか。

 うれしい出来事に対しては「神様のプレゼント」として受け入れ、嫌な出来事に対しても「神様の試練・訓練」として受け入れるのです。

 「良薬口に苦し」というように、つらい体験や苦しい経験は必ずしも不幸なことではなく、自分にとって成長のための心の糧になり得るということです。

 全ての出来事を「善悪」として捉えるのではなく、神様が与えてくれた「陽陰」の出来事と捉えるのです。

 人生は何事も順調にうまくいく光り輝くような時もあれば、反対に何事もうまくいかない影のような時もあります。

 これは善悪ではなく、陽陰の関係です。振り子のように、不快の方向に揺れたならば、次は快の方向に振れることを信じて忍耐することも必要だということです。

 そのように考えると、全ての出来事は神様から頂いたプレゼントであり、私にとって必要なことであり、最善の出会いとして受け入れることこそ、神様と共にある生活であるといえるのです。