至誠感天 家和万事成 66
文先生を見つめる神様の事情

 今日も「一日の出発のみ言」をお届けします
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※本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言を語られた日付を示しています。

(光言社・刊『至誠感天・家和万事成』より)

第二章 家和万事成

第二節 父母の心

(二)神様の心⑥

 統一教会の文(ムン)先生という人を、神様は愛していらっしゃいます。それは、私がよく知っています。しかし、私は、生涯を捧げて信じてきましたが、あるときは、神様に抗議したいと思うときが一度や二度ではありませんでした。

 私が死地に行くと、神様は「知らない」と言われます。「お前を知らない」と言われるのです。しかし、分かってみると、「知らない」と言う父母の心はどれほど苦しいでしょうか。助けてあげられる能力があるのですから、手足をじっと縛っておくのではなく、動いて千回でも万回でも助けてあげたいと思われるでしょう。

 しかし、そのようにすれば、統一教会の文という人が行く運命的な道を解決できないために、そのような場で、神様は第三者の立場に立たざるを得なかったというのです。(48-120、1971.9.5)

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 明日は、「より高い位置に立てたい神様」をお届けします。