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内村鑑三と咸錫憲 14
「ハナニム」が導いた韓民族の歴史

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 咸錫憲が『意味から見た韓国歴史』においてやったことは、「ハナニム」(하나님/韓国語で“神様”の意味)が韓民族の歴史に常に介入してきたことを示し、キリスト教的な「摂理史観」に韓国の歴史を落とし込むという作業であった。

 すなわち、韓国の民族史を「ハナニム」の視点から捉え直し、ユダヤ人の歴史に神が介入してきた記録である旧約聖書のように、韓国史の具体的な出来事の中に神が介入してきた足跡を探し出そうとしたのである。

 歴史は決して過ぎ去ってしまった「過去」ではなく、現在の中にまだ生きていると、咸錫憲は言う。

 そして歴史について以下のように述べている。

 「事実というよりも事実の持つ意味であり、意味が問題なのである」(『意味から見た韓国歴史』、25ページ)

 「事実と事実のあいだに因果関係の環が結ばれ、全体が一つの統一体をなさなければならない。歴史は一つである」(同、25ページ)

 「幾万年にもわたる複雑な人類の出来事を通じて一つの意味関連を見出すだけではなく、実は永遠の心、すなわち意志、意味をとらえることが歴史家の仕事である」(同、28ページ)

 「それゆえ歴史が真の歴史となるためには、身を山中に置かず、一望の下に全山の姿が眺められる位置に置くように、宇宙・人生を見下ろせる観点から書いたものでなければならない。史観とはこれである」(同、30ページ)

 「それゆえ真の歴史は宗教的な観点に立たなくてはならないだろう」(同、31ページ)

 こうした歴史の見方は一般の人々にはにわかに受け入れ難いものであるだけでなく、歴史学者からは客観的な史実を超えた空想的な思弁として否定されるであろう。

 しかし統一原理を学んだ家庭連合の信者にとっては、非常になじみ深いものである。
 それは統一原理の歴史観と酷似しているからだ。

 そもそも旧約聖書自体が、ユダヤ民族の歴史の中に働いてきた神の足跡を書き記した書物である。
 そしてその中に数理性を発見し、アダムの時代から現代に至るまでの世界史全体を神の視点から見つめ、その中に神の摂理の足跡を見いだしたのが統一原理の摂理史観である。

 内村鑑三もこれとよく似た歴史観を持っていた。
 彼は「文明西進説」に基づいて、日本に神の摂理が働いていると捉え、日本の使命は西欧諸国と他のアジアの国々を連結することであると考えていた。
 これが内村鑑三の「日本の天職」という概念である。

 内村鑑三、咸錫憲、文鮮明総裁の思想は、同じ基調の上に立っているのだ。