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内村鑑三と咸錫憲 13
神の摂理から韓国歴史を解釈した咸錫憲

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 咸錫憲の代表作といえる『意味から見た韓国歴史』は、韓国語では「뜻으로 본 한국역사」であり、この「뜻」が日本語では「意味」とか「意志」などと訳されている。咸錫憲の著作を読んでみれば、それは歴史の意味というよりは、歴史の底を一貫して流れている意志、あるいは神の意志のようなものであることが分かる。

 家庭連合においては「뜻」という言葉は「み旨」と訳されてきたので、この本の日本語訳も「み旨から見た韓国歴史」とした方が、われわれにとっては分かりやすい気がする。

 1950年に初版が出された際には、『聖書的立場からみた朝鮮歴史』というタイトルであったが、この原題が一般向きではないことと、筆者自身の宗教観の変化もあって、1962年に改訂版が出された際には『意味から見た韓国歴史』に変えられた。

 これは筆者がキリスト教徒という特定の宗教の人々に語りかけるのではなく、それを超えて民衆一般に語りかけたいと感じたからである。

 結果的に、この本はキリスト教徒を超えて広く社会的な注目を集め、現在も韓国史、韓国文化を概説する古典として、大学生の必読書とされている。
 タイトルからすると歴史書のようであるが、過去の史料を評価・検証して歴史的事実やそれらの関連を追究するという意味での「歴史学」の本ではない。

 筆者自身が「われらの祈りであり信仰であり、歴史研究ではない」(2ページ)と言っているように、客観的な歴史を研究しようとする書物ではなく、歴史の中に神の意志を読み取ろうとした「信仰の書」であるため、書店では思想哲学コーナーに分類される。

 歴史に対する咸錫憲の視点は、内村鑑三の薫陶を受けた無教会主義キリスト教の影響であるとみることができる。
 彼が「聖書的立場からみた朝鮮歴史」を『聖書朝鮮』に連載し始めたのは1934年であるが、その少し前の1929年には内村鑑三の弟子である藤井武(18881930)が「聖書よりみたる日本」という連載論文を発表している。

 藤井は古事記など日本の神話にキリスト教を当てはめ、内村鑑三の終末論的歴史観に基づいて日本の歴史を考察しようとしたが、これと同じことを韓国の歴史に対してやろうとしたのが咸錫憲であったといえる。

 『意味から見た韓国歴史』は、キリスト教的な唯一神(ハナニム)が韓国の歴史に介在してきたという視点から、「神の摂理」によって韓国通史を再解釈しようとする歴史エッセーであるといえるのだ。

 これは内村鑑三の「日本の天職」論にヒントを得たものであると同時に、統一原理の復帰原理や再臨論にも通じる思想である。