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内村鑑三と咸錫憲 12
咸錫憲の代表作『意味から見た韓国歴史』

魚谷 俊輔

 韓民族選民大叙事詩修練会において、内村鑑三が近代日本の偉大なキリスト教福音主義者として紹介され、その思想が弟子である咸錫憲(ハム・ソクホン)に引き継がれていったと説明された。
 咸錫憲は文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁が若き日に通われた五山学校で教師を務めた人物だ。そこで内村鑑三から咸錫憲に至る思想の流れを追いながらシリーズで解説したい。

 前回は平安北道定州郡にあった五山学校を媒介として、内村鑑三、咸錫憲、文鮮明総裁へとつながっていく人間関係の流れを紹介した。
 今回は、日本から帰国後の咸錫憲の歩みと思想について紹介したい。

 このシリーズを書くに当たって私が読んだのは、咸錫憲著・金学鉉訳『苦難の韓国民衆史―意味から見た韓国歴史』 (1980年、新教出版社)である。

 咸錫憲の代表作といえるこの著作は、日本語訳は1980年に出されているとはいえ、オリジナルの原稿はまだ表現が自由でなかった日帝時代に書かれたものだ。

 内村鑑三の弟子であり無教会主義者の金教臣(キム・キョシン)が主筆を務める『聖書朝鮮』という雑誌に、19342月号から193512月号まで22回にわたって寄稿した「聖書的立場から見た朝鮮の歴史」がそれである。

 興味深いのは、文鮮明総裁が五山学校に編入したのが1934年なので、ちょうど文総裁の在学中に原稿を書いているということだ。

 そのテキストが解放後の1950年に『聖書的立場からみた朝鮮歴史』として刊行され、その後の情勢などを踏まえて1962年に改訂版が出された。日本語訳はこの改訂版の第四刷が元になっている。

 咸錫憲の生涯は前期と後期に大きく分けることができる。
 前期は日帝時代から1950年までで、聖書研究、歴史研究、そして伝道に没頭した時代である。

 後期は朝鮮戦争と1960年の「四月革命」(李承晩〈イ・スンマン〉大統領の不正選挙に対する抗議行動を行った学生に呼応して、市民・労働者が蜂起して、李承晩を辞任に追い込んだ民主化運動)と、それに続いて起きた1961年の朴正煕(パク・チョンヒ)による「515軍事クーデター」を経て、彼が虐げられる民衆の側に立って民主化運動を主導した時代である。

 彼は李承晩時代から自由党の半独裁に異を唱え、民主化運動の先頭に立ったため、何度も投獄されている。
 1970年には評論雑誌『シアレソリ(民の声)』を発刊したが、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の言論統廃合により1980年に強制廃刊されてしまう。

 強権に抵抗して真理と愛を説き、「非暴力民主主義」を掲げて独裁政権を批判したため、「韓国のガンジー」とも呼ばれ、1979年と1985年の2度、ノーベル平和賞候補に選定された。

 咸錫憲はもともとクリスチャンであったが、52歳の時に「大宣言」という詩を発表し、キリスト教だけが唯一の宗教であるという立場を超越して、あらゆる宗教を一つに考える「宗教の世界主義」に到達した。