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シリーズ・「宗教」を読み解く 357
母なるものを慕い求めて①
イエスと聖霊によって生かされた人生

ナビゲーター:石丸 志信

 キリスト教二千年の歴史は、ただひたすらイエス・キリストに倣おうと生涯を懸けてきた人たちによって培われてきた。

 彼らは、時代時代に現れた修道者であり、殉教者であり、宣教師たちだった。
 一人一人の生活形態や働きは違っても、彼らの真剣な生き方によって伝統が立てられ、継承され、キリスト教基盤は世界に定着、拡大してきたのだ。

 キリスト教の伝統の継承者たる人々のトータルな人生観、すなわち霊性という観点でこの歴史を眺めてみると、彼らは自らの意志でその人生を選び取り、忍耐強く継続し、生命を懸けて全うした姿が浮かび上がってくる。そしてそれは、本人の努力だけで全うできた人生でもなく歴史でもなかったことが分かる。

 キリスト教の人生観は、イエスと聖霊によって生かされた人生と表現できるように、二千年のキリスト教の歴史は、イエスと聖霊が一貫して導いてきた歴史であったといえよう。
 故に、この歴史を見つめながら、生きて働かれるイエスと聖霊を感じ取っていくことに意味があるのではないかと思う。

 真の父母である文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の視点を通してみるとそのことがありありと感じられる。

 「私たちは今まで、イエス・キリストを迎えるために自分だけが苦労してきたものと思っていましたが、自分の背後で自分以上に苦労された聖霊がいることを知らなければなりません」(『イエス様の生涯と愛』文鮮明著 光言社、280ページ)

 1956年7月11日に文総裁が語ったこのメッセージは次のように続く。

 「イエス様が願われることは、人間の苦労よりも聖霊の苦労が大きいので、この聖霊を立て、イエス・キリストの栄光に代わって人間を糾合しようとされるのです。そのような一日を迎えられなければ、イエス様はこの地に再び来て万民の主人公に立つことができないのです。
 それゆえ私たちが悪に対して立ち上がるようになるとき、私たちが犯した罪によって聖霊が代わりに地で苦労されるようになったのであり、イエス様が十字架にかかられるようになったということを知らなければなりません」(同上)

 神の子たるイエスの悲しみに目を留められただけでなく、聖霊の苦労をも感じ取られた文総裁は、ここで聖霊の苦労に触れ、それに対する人間の責任について語られた。

 このことは、キリスト教の歴史に対する新しい視座を示している。



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