2025.03.10 22:00
facts_3分で社会を読み解く 58
最高裁は宗教法人解散の意味を軽く捉え過ぎている
ナビゲーター:魚谷 俊輔
3月3日、家庭連合に対する「過料裁判」の決定が最高裁によって下された。
宗教法人法第81条が規定している宗教法人の解散事由である「法令に違反」に、民法の不法行為が含まれるか否かが争われてきたわけだが、最高裁は「民法の不法行為を含む」という結論を出した。
この判断のおかしさについては家庭連合の公式ウェブサイトや中山達樹弁護士のブログで専門的な解説がなされているので、私はそこには触れず、宗教法人の解散の意味を最高裁がどの程度重く受け止めているかに注目してコメントしてみたい。
令和6年3月26日に東京地裁の鈴木謙也裁判長が下した判断では、以下のように述べられている。
「宗教法人の解散命令が確定したときは、その清算手続が行われ、当該宗教法人に帰属する財産を用いて信者らが行っていた宗教上の行為を継続するのに何らかの支障を生じさせることがあり得ることからすれば、憲法が保障する信教の自由の重要性にも鑑みて、当該宗教法人に対して解散命令がされることが、当該宗教法人のした行為に対処するために必要でやむを得ないものであるかという観点からも、法81条1項1号を含む同項所定の解散命令事由の該当性は、慎重かつ厳密に判断されるべきものといえる」
ところが、令和7年3月3日に最高裁が下した「抗告棄却決定」は、「解散命令は、宗教法人の法人格を失わせる効力を有するにとどまり、信者の宗教上の行為を禁止したり制限したりする法的効果を一切伴わないものである」とだけ述べている。
どちらも家庭連合に対する「過料」に関する判決から引用したものだが、宗教法人の解散命令の持つ意味に対する評価が全く異なる。
解散命令の持つ重みについては東京地裁の判決の方がより慎重で信教の自由に対する配慮が感じられるのに対して、最高裁の判決はあまりにも解散命令を軽く見ていると感じざるを得ない。
これらはどちらも、オウム真理教に対する解散命令の判例(平成8年1月30日、最高裁)を引用しながら語っているのだが、オウム事件の判例でさえ、解散命令によって信徒の信教の自由が直接的に禁止または制限されるわけではないが、実際には礼拝施設の処分など、さまざまな支障を来すことになるから「信教の自由の重要性」に鑑みて、慎重に判断しなければならないと言っている。
しかし、このたびの最高裁の決定は「信教の自由の重要性」を蹴っ飛ばして、「解散命令なんて、法的効果を伴わない軽いものだ」と言っていることになる。
上記の三つを比較すると、日本の司法は上に行くほど劣化していくのか、また時代と共に劣化しているのかと思わざるを得ない。まさに暗澹(あんたん)たる思いだ。
【関連情報】
・世界平和統一家庭連合公式ウェブサイト
「過料事件最高裁決定に対する当法人の見解を掲載します」(2025年3月5日付)
・中山達樹弁護士ブログ「川塵録」
「最高裁2025.3.3 家庭連合過料決定のおかしさ」(2025年3月6日付)